メッセージ
あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯。(詩編119篇105節)
聞いておられる主
投稿者
toshibetsu
投稿日
2025-11-09 23:17
閲覧数
83
251109利別教会メッセージ
御言葉:民数記14章26節から35節
題:聞いておられる主
先週は、ありがとうと言うところに神の国が開かれることを学びました。今日は子供祝福礼拝です。「聞いておられる主」と言う題で、私たちの口の言葉と心の思いについてのメッセージです。
1 わたしに対して言う不平を十分聞いた
まず、民数記13章、14章のあらすじを簡単にお話します。神様はイスラエルの民をエジプトから救い出され、葦の海を渡らせ、シナイ山の前で神様と神の民との契約を結びました。その後、神様は約束されたカナンの地にイスラエルの民を導き入れるにあたり、まず、12人の偵察隊を選んで、そこの様子を探らせられました。
ところが、その偵察隊の報告が問題になりました。12人の内の10人は、13:28「その土地の住民は強く、町という町は城壁に囲まれ、大層大きく、~」と、そこに足を踏み入れるのは無理だと報告しました。しかし、偵察隊の一人であったカレブは、13:30「断然上っていくべきです。そこを占領しましょう。必ず勝てます。」と進言しました。それでも、他の10人は反対し、13:31~「いや、あの民に向かって上って行くのは不可能だ。彼らは我々よりも強い」と言って、人々の間に、その土地について悪い情報を流しました。32節です。「32イスラエルの間に、偵察して来た土地について悪い情報を流し~「我々が偵察して来た土地は、そこに住みつこうとする者を食い尽くすような土地だ。我々が見た民は皆、巨人だった。33そこで我々が見たのは、ネフィリムなのだ。アナク人はネフィリムの出なのだ。我々は、自分がいなごのように小さく見えたし、彼らの目にもそう見えたにちがいない」」自分たちはダメだ、ダメだ、ダメだ、できない、弱い、ということです。
状況が決定的になったのは、その悪い情報を信じた共同体の反応でした。イスラエルの人々は、この10人の話を聞いて夜通し泣いてモーセとアロンに対して不平を言い、14:3「どうして、主は我々をこの土地に連れて来て、剣で殺そうとされるのか。妻子は奪われてしまうだろう。それくらいなら、エジプトに引き返した方がましだ」そして、「さあ、一人の頭を立てて、エジプトへ帰ろう」と言い合うに至ったのです。
それで、一緒に偵察に行ったヨシュアとカレブが立ち上がって叫びます。14章7節です。14:7~「とてもすばらしい土地だった。もし、我々が主の御心に適うなら、あの~土地を与えて下さるであろう。ただ、主に背いてはならない。そこの住民を恐れてはならない。彼らは我々の餌食にすぎない。彼らを守るものは離れ去り、主が我々と共におられる。彼らを恐れてはならない。」二人は、自分たちは弱くても、主の御心に適うなら、主が共におられるなら、素晴らしいものを与えて下さる、と言ったのです。しかし残念ながら、もうだめだと思い込んだイスラエルの共同体は、モーセ、アロン、カレブとヨシュアを石で打ち殺そうとしました。
その時、主の栄光が現れました。神様は御自分を無視し続けるイスラエルの民を疫病で打ち捨てて、モーセを通して新しいイスラエルをまた造り出すのだと仰いました。それで、モーセが必死になって人々のために執り成しの祈りをします。神様は、モーセの祈りに応えられました。14:20「主は言われた。「あなたの言葉のゆえに、わたしは赦そう。~しかし、わたしをないがしろにする者はだれ一人としてそれを見ることはない。」」人々は、モーセの執り成しによって罪が赦され、全滅は免れました。しかし、約束の地を見ることはできないとされました。
神様がモーセに、今日の本文の御言葉を語られたのは、この時でした。
2. 耳にしたとおり、必ず行う
26節、27節です。「26主はモーセとアロンに仰せになった。27「この悪い共同体は、いつまでわたしに対して不平を言うのか。わたしは、イスラエルの人々がわたしに対して言う不平を十分聞いた。」神様は彼らの不平を、十分に聞かれました。そして、そのイスラエルの人々の神様に対して言った不平を十分聞いた神様が何と仰ったでしょうか。
28節です。「28彼らに言うがよい。『主は言われる。わたしは生きている。わたしは、お前たちが言っていることを耳にしたが、そのとおり、お前たちに対して必ず行う。』」まず神様は、「わたしは生きている」と仰いました。なぜ、神様が「わたしは生きているよ」と言われたでしょうか。今、イスラエルの民が、自分たちは死んで妻子も奪われると、悲しみ嘆いていたからではないでしょうか。神様の御力など忘れて、もう私たちは皆殺されると思い込んだ彼らに、神様は「わたしは死んだのではない。わたしは生きている」と仰いました。生きておられる神様は「わたしは、お前たちが言っていることを耳にした」と言われました。そして、神様は耳にしたことを「そのとおり、お前たちに対して必ず行う」と言われました。
神様は、今も生きて働いておられます。ヨハネによる福音書5章17節です。「イエスはお答えになった。「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」神様はモーセの時も、イエス様の時も、そして、今も同じ神様で、生きておられます。聞いておられ、語られ、働いておられます。約束を成し遂げられます。私たちがどんな時にも、「わたしは生きている」と仰っておられる神様を意識して生きなければいけないと思わされます。
3. 死体となって荒れ野で倒れる
それでは、耳にした通りに行われる出来事は何でしょうか。29節から30節です。「29お前たちは死体となってこの荒れ野に倒れるであろう。わたしに対して不平を言った者、つまり戸籍に登録をされた二十歳以上の者はだれ一人、30わたしが手を上げて誓い、あなたたちを住まわせると言った土地に入ることはない。ただし、エフネの子カレブとヌンの子ヨシュアは別だ。」神様は彼らが「14:2b「エジプトの国で死ぬか、この荒れ野で死ぬ方がよほどましだった」と言った通りに「お前たちは死体となってこの荒れ野に倒れる」と言われました。しかし、不平不満を口にせず、信仰によって語ったカレブとヨシュアは別でした。
子供たちについても区別されました。31節です。「31お前たちは、子供たちが奪われると言ったが、わたしは彼らを導き入れ、彼らは、お前たちの拒んだ土地を知るようになる。しかし、お前たちは死体となってこの荒れ野で倒れる。」つまり、大人は皆死体となって荒れ野で倒れますが、その彼らが「奪われてしまうだろう」と言った子供たちについては、神様は導き入れると言われました。
4 お前たちの背信の罪を負う
しかし、子供たちもすぐには入ることができませんでしたので、40年間荒れ野の生活を強いられました。33節です。「『33お前たちの子供は、荒れ野で四十年の間羊飼いとなり、お前たちの最後の一人が荒れ野で死体となるまで、お前たちの背信の罪を負う。」先生、父の罪を子供が負うことはないのではありませんか?なぜ、子供たちが負うのですかと聞く方がいるかも知れません。しかし、偶像崇拝は、3代、4代まで罪が問われると書いてあります。
それでも40年というのは、神様の配慮であったことでしょう。20歳の以下の人たちの中には乳飲み子や小さい子供もいましたから、その子供たちを育てる必要がありました。それで神様は、子供たちが大人になるまでの40年という期間を荒野で過ごさせられました。また、神様を知るための40年であったことでしょう。34節です。「34あの土地を偵察した四十日という日数に応じて、一日を一年とする四十年間、お前たちの罪を負わねばならない。お前たちは、わたしに対抗するとどうなるかを知るであろう。」つまり荒れ野で、子供たちが、確かに神様が生きておられること、そして心から信頼して従うべきこと、感謝を持って重荷を担うべきことを、身を持って学び、そのことを自分の子供たちに教えるようになることを期待されたことでしょう。神様は厳しさの中にも憐れみを忘れない愛の神様です。
しかし、エジプトの奴隷生活からの救いの御業を覆そうとした大人たちへの御言葉は厳しい内容でした。35節です。「35主であるわたしは断言する。わたしに逆らって集まったこの悪い共同体全体に対して、わたしはこのことを行う。彼らはこの荒れ野で死に絶える。」もしも、モーセの執り成しだけではなく、彼ら自身がよく悟って、心から悔い改めて、憐れみを願い求めたなら、どうなっただろうかと思います。しかし、荒れ野で死に絶えるという決定が覆されることはありませんでした。
5 聞いておられる神様
生きておられる神様は私たちの口から出る言葉を聞いておられます。もし、私と皆さんの口から出る言葉のとおりに、全能なる神様が実行なさるとしたら、どうなるでしょうか?また、もし、私達が心の中で、一瞬でも思った言葉のとおりに神様が私と皆さんや、私たちの子供たちに行われるとしたら、どうなるのでしょうか。それを思う時、神様がいかに憐れみ深い方であり、愛と忍耐をもって私たち人類に接して下さっている事かと思います。あまりにも、優しすぎるのではないかと思いませんか。しかし、その慈しみがなかったならば、誰も幸いを得ることはできないでしょう。
私は旭川に住んでいた時に、主に介護の仕事をしました。子供たちの世話もあるので、夜間専門の介護の仕事をしました。夜中、一人で大変な思いをしながら、仕事をしました。その時、心の中で言いました。「わたしはいつ、ベッドで休んで誰かの世話をしてもらうだろうか。誰がわたしの父や母の世話をしてくれるだろうか。」そのときでした。心に聖霊様からの声が聞こえたのです。「あなたの願いとおりにしてあげても良いのか。」私はわれに帰って、顔を振って、「違います。私の心で思った通りにならないようにしてください。いつまでも、死ぬまで働きます。父と母も死ぬまで働くように健康にしてください。」と祈りました。私たちは、いかに簡単に、起こってはならないことを口にしてしまう存在なのでしょうか。
今日は子供祝福の礼拝です。子供たちは父母の口から出る言葉を食べて育ちます。神様は父母の口の言葉を聞いて子供たちを導いてくださいます。父母、祖父母、教師、おじさんおばさん、町の大人たちが、子供たちのために口にすべき言葉は何でしょうか。お前には無理だ、お前はダメだ、もうダメだ、でしょうか。大人でも子供でも、もうダメだ、と思い、口に出すことの無いように願います。もしも今までにそのような事を思い、そのような言葉を口にしたことを思い出したならば、今日、活ける神様の御前で主イエス・キリストの御名によって取り消しますように祝福します。
では、クリスチャンである私たちは何と語るべきでしょうか。それは、「イエスキリストにあって、生きる道がある」であると思います。誰でも、この世で命と幸いを得ることを望むのであれば、活ける神様との平和を得ななければならないからです。そして、イエス様こそが、その道であり、真理であり、命だからです。ヨハネ14:6でイエス様は仰いました。「わたしは道であり、真理であり、命である。」
この世の中は、子供たちに自分を信じて生きるように教えます。しかし、わたしたちは知っています。自分がどのくらい弱い者であるかを。聖書エレミヤ書17章9節には「人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる。誰がそれを知りえようか」とあります。自力で幸いな人生を歩み通せる人は、ひとりもいないと、聖書は教えます。
しかし、イエス・キリストによって生きる人生はどうでしょうか。コロサイの信徒への手紙2章3節です。「知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています。」ですから、キリストを得るならすべてを得るのです。この世で何かを求めるところに、真の幸いはありません。キリストを失うなら、全てを失うのです。そして、コリントの信徒への手紙一1章30節です。「神によってあなたがたはキリスト・イエスと結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。」イエスキリストのうちにあって私たちは皆、全ての罪咎が赦され、神様との平和が与えられます。全ての敵意や呪いから解放されるのです。神の子とせられ、永遠の命をいただきます。どん底でも生きる力が与えられます。すべての汚れは清められ、弱くても病の内にあっても用いられます。そして、最後に天の御国に帰るのです。イエスキリストの内にあって、全てが備えられています。
6 招きと決心の時間
それでは招きと決心の時間を持ちましょう。神様は生きておられ、私たちの心と口の言葉を全部御存知の全能なる神様です。
私たちの人生について、聖書は僅かに現れてやがって消えて行く霧であるとします。霧のような短い人生の中で、イエス様に出会って、罪が赦され、永遠の命を得、神様の子供になって口と心から感謝と讃美を主にささげることほど幸いな人生はありません。今、イエス様を自分の罪のために死んでまた復活された救い主としてお迎えしますように祝福します。ヨハネによる福音書14章6節「イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」」
共に祈りましょう。祈ります。「天の父なる神様。わたしは罪びとです。どこから来て、どうして生まれ、何のために生きて、最後はどこに行くのか知ることもなく、さまよい、ただひたすら生きてきました。私の罪のために、十字架にかかり、罪をきよめる血を流して死なれ、よみがえられたイエス様を、私の救い主としてお迎えします。私はきよめられ、神様の子供になりました。感謝します。今から、いつまでも、主と共におります。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。
皆さんを祝福します。「皆さんの魂が恵まれているように、皆さんがすべての面で恵まれ、健康であるように祝福します。」
御言葉:民数記14章26節から35節
題:聞いておられる主
先週は、ありがとうと言うところに神の国が開かれることを学びました。今日は子供祝福礼拝です。「聞いておられる主」と言う題で、私たちの口の言葉と心の思いについてのメッセージです。
1 わたしに対して言う不平を十分聞いた
まず、民数記13章、14章のあらすじを簡単にお話します。神様はイスラエルの民をエジプトから救い出され、葦の海を渡らせ、シナイ山の前で神様と神の民との契約を結びました。その後、神様は約束されたカナンの地にイスラエルの民を導き入れるにあたり、まず、12人の偵察隊を選んで、そこの様子を探らせられました。
ところが、その偵察隊の報告が問題になりました。12人の内の10人は、13:28「その土地の住民は強く、町という町は城壁に囲まれ、大層大きく、~」と、そこに足を踏み入れるのは無理だと報告しました。しかし、偵察隊の一人であったカレブは、13:30「断然上っていくべきです。そこを占領しましょう。必ず勝てます。」と進言しました。それでも、他の10人は反対し、13:31~「いや、あの民に向かって上って行くのは不可能だ。彼らは我々よりも強い」と言って、人々の間に、その土地について悪い情報を流しました。32節です。「32イスラエルの間に、偵察して来た土地について悪い情報を流し~「我々が偵察して来た土地は、そこに住みつこうとする者を食い尽くすような土地だ。我々が見た民は皆、巨人だった。33そこで我々が見たのは、ネフィリムなのだ。アナク人はネフィリムの出なのだ。我々は、自分がいなごのように小さく見えたし、彼らの目にもそう見えたにちがいない」」自分たちはダメだ、ダメだ、ダメだ、できない、弱い、ということです。
状況が決定的になったのは、その悪い情報を信じた共同体の反応でした。イスラエルの人々は、この10人の話を聞いて夜通し泣いてモーセとアロンに対して不平を言い、14:3「どうして、主は我々をこの土地に連れて来て、剣で殺そうとされるのか。妻子は奪われてしまうだろう。それくらいなら、エジプトに引き返した方がましだ」そして、「さあ、一人の頭を立てて、エジプトへ帰ろう」と言い合うに至ったのです。
それで、一緒に偵察に行ったヨシュアとカレブが立ち上がって叫びます。14章7節です。14:7~「とてもすばらしい土地だった。もし、我々が主の御心に適うなら、あの~土地を与えて下さるであろう。ただ、主に背いてはならない。そこの住民を恐れてはならない。彼らは我々の餌食にすぎない。彼らを守るものは離れ去り、主が我々と共におられる。彼らを恐れてはならない。」二人は、自分たちは弱くても、主の御心に適うなら、主が共におられるなら、素晴らしいものを与えて下さる、と言ったのです。しかし残念ながら、もうだめだと思い込んだイスラエルの共同体は、モーセ、アロン、カレブとヨシュアを石で打ち殺そうとしました。
その時、主の栄光が現れました。神様は御自分を無視し続けるイスラエルの民を疫病で打ち捨てて、モーセを通して新しいイスラエルをまた造り出すのだと仰いました。それで、モーセが必死になって人々のために執り成しの祈りをします。神様は、モーセの祈りに応えられました。14:20「主は言われた。「あなたの言葉のゆえに、わたしは赦そう。~しかし、わたしをないがしろにする者はだれ一人としてそれを見ることはない。」」人々は、モーセの執り成しによって罪が赦され、全滅は免れました。しかし、約束の地を見ることはできないとされました。
神様がモーセに、今日の本文の御言葉を語られたのは、この時でした。
2. 耳にしたとおり、必ず行う
26節、27節です。「26主はモーセとアロンに仰せになった。27「この悪い共同体は、いつまでわたしに対して不平を言うのか。わたしは、イスラエルの人々がわたしに対して言う不平を十分聞いた。」神様は彼らの不平を、十分に聞かれました。そして、そのイスラエルの人々の神様に対して言った不平を十分聞いた神様が何と仰ったでしょうか。
28節です。「28彼らに言うがよい。『主は言われる。わたしは生きている。わたしは、お前たちが言っていることを耳にしたが、そのとおり、お前たちに対して必ず行う。』」まず神様は、「わたしは生きている」と仰いました。なぜ、神様が「わたしは生きているよ」と言われたでしょうか。今、イスラエルの民が、自分たちは死んで妻子も奪われると、悲しみ嘆いていたからではないでしょうか。神様の御力など忘れて、もう私たちは皆殺されると思い込んだ彼らに、神様は「わたしは死んだのではない。わたしは生きている」と仰いました。生きておられる神様は「わたしは、お前たちが言っていることを耳にした」と言われました。そして、神様は耳にしたことを「そのとおり、お前たちに対して必ず行う」と言われました。
神様は、今も生きて働いておられます。ヨハネによる福音書5章17節です。「イエスはお答えになった。「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」神様はモーセの時も、イエス様の時も、そして、今も同じ神様で、生きておられます。聞いておられ、語られ、働いておられます。約束を成し遂げられます。私たちがどんな時にも、「わたしは生きている」と仰っておられる神様を意識して生きなければいけないと思わされます。
3. 死体となって荒れ野で倒れる
それでは、耳にした通りに行われる出来事は何でしょうか。29節から30節です。「29お前たちは死体となってこの荒れ野に倒れるであろう。わたしに対して不平を言った者、つまり戸籍に登録をされた二十歳以上の者はだれ一人、30わたしが手を上げて誓い、あなたたちを住まわせると言った土地に入ることはない。ただし、エフネの子カレブとヌンの子ヨシュアは別だ。」神様は彼らが「14:2b「エジプトの国で死ぬか、この荒れ野で死ぬ方がよほどましだった」と言った通りに「お前たちは死体となってこの荒れ野に倒れる」と言われました。しかし、不平不満を口にせず、信仰によって語ったカレブとヨシュアは別でした。
子供たちについても区別されました。31節です。「31お前たちは、子供たちが奪われると言ったが、わたしは彼らを導き入れ、彼らは、お前たちの拒んだ土地を知るようになる。しかし、お前たちは死体となってこの荒れ野で倒れる。」つまり、大人は皆死体となって荒れ野で倒れますが、その彼らが「奪われてしまうだろう」と言った子供たちについては、神様は導き入れると言われました。
4 お前たちの背信の罪を負う
しかし、子供たちもすぐには入ることができませんでしたので、40年間荒れ野の生活を強いられました。33節です。「『33お前たちの子供は、荒れ野で四十年の間羊飼いとなり、お前たちの最後の一人が荒れ野で死体となるまで、お前たちの背信の罪を負う。」先生、父の罪を子供が負うことはないのではありませんか?なぜ、子供たちが負うのですかと聞く方がいるかも知れません。しかし、偶像崇拝は、3代、4代まで罪が問われると書いてあります。
それでも40年というのは、神様の配慮であったことでしょう。20歳の以下の人たちの中には乳飲み子や小さい子供もいましたから、その子供たちを育てる必要がありました。それで神様は、子供たちが大人になるまでの40年という期間を荒野で過ごさせられました。また、神様を知るための40年であったことでしょう。34節です。「34あの土地を偵察した四十日という日数に応じて、一日を一年とする四十年間、お前たちの罪を負わねばならない。お前たちは、わたしに対抗するとどうなるかを知るであろう。」つまり荒れ野で、子供たちが、確かに神様が生きておられること、そして心から信頼して従うべきこと、感謝を持って重荷を担うべきことを、身を持って学び、そのことを自分の子供たちに教えるようになることを期待されたことでしょう。神様は厳しさの中にも憐れみを忘れない愛の神様です。
しかし、エジプトの奴隷生活からの救いの御業を覆そうとした大人たちへの御言葉は厳しい内容でした。35節です。「35主であるわたしは断言する。わたしに逆らって集まったこの悪い共同体全体に対して、わたしはこのことを行う。彼らはこの荒れ野で死に絶える。」もしも、モーセの執り成しだけではなく、彼ら自身がよく悟って、心から悔い改めて、憐れみを願い求めたなら、どうなっただろうかと思います。しかし、荒れ野で死に絶えるという決定が覆されることはありませんでした。
5 聞いておられる神様
生きておられる神様は私たちの口から出る言葉を聞いておられます。もし、私と皆さんの口から出る言葉のとおりに、全能なる神様が実行なさるとしたら、どうなるでしょうか?また、もし、私達が心の中で、一瞬でも思った言葉のとおりに神様が私と皆さんや、私たちの子供たちに行われるとしたら、どうなるのでしょうか。それを思う時、神様がいかに憐れみ深い方であり、愛と忍耐をもって私たち人類に接して下さっている事かと思います。あまりにも、優しすぎるのではないかと思いませんか。しかし、その慈しみがなかったならば、誰も幸いを得ることはできないでしょう。
私は旭川に住んでいた時に、主に介護の仕事をしました。子供たちの世話もあるので、夜間専門の介護の仕事をしました。夜中、一人で大変な思いをしながら、仕事をしました。その時、心の中で言いました。「わたしはいつ、ベッドで休んで誰かの世話をしてもらうだろうか。誰がわたしの父や母の世話をしてくれるだろうか。」そのときでした。心に聖霊様からの声が聞こえたのです。「あなたの願いとおりにしてあげても良いのか。」私はわれに帰って、顔を振って、「違います。私の心で思った通りにならないようにしてください。いつまでも、死ぬまで働きます。父と母も死ぬまで働くように健康にしてください。」と祈りました。私たちは、いかに簡単に、起こってはならないことを口にしてしまう存在なのでしょうか。
今日は子供祝福の礼拝です。子供たちは父母の口から出る言葉を食べて育ちます。神様は父母の口の言葉を聞いて子供たちを導いてくださいます。父母、祖父母、教師、おじさんおばさん、町の大人たちが、子供たちのために口にすべき言葉は何でしょうか。お前には無理だ、お前はダメだ、もうダメだ、でしょうか。大人でも子供でも、もうダメだ、と思い、口に出すことの無いように願います。もしも今までにそのような事を思い、そのような言葉を口にしたことを思い出したならば、今日、活ける神様の御前で主イエス・キリストの御名によって取り消しますように祝福します。
では、クリスチャンである私たちは何と語るべきでしょうか。それは、「イエスキリストにあって、生きる道がある」であると思います。誰でも、この世で命と幸いを得ることを望むのであれば、活ける神様との平和を得ななければならないからです。そして、イエス様こそが、その道であり、真理であり、命だからです。ヨハネ14:6でイエス様は仰いました。「わたしは道であり、真理であり、命である。」
この世の中は、子供たちに自分を信じて生きるように教えます。しかし、わたしたちは知っています。自分がどのくらい弱い者であるかを。聖書エレミヤ書17章9節には「人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる。誰がそれを知りえようか」とあります。自力で幸いな人生を歩み通せる人は、ひとりもいないと、聖書は教えます。
しかし、イエス・キリストによって生きる人生はどうでしょうか。コロサイの信徒への手紙2章3節です。「知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています。」ですから、キリストを得るならすべてを得るのです。この世で何かを求めるところに、真の幸いはありません。キリストを失うなら、全てを失うのです。そして、コリントの信徒への手紙一1章30節です。「神によってあなたがたはキリスト・イエスと結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。」イエスキリストのうちにあって私たちは皆、全ての罪咎が赦され、神様との平和が与えられます。全ての敵意や呪いから解放されるのです。神の子とせられ、永遠の命をいただきます。どん底でも生きる力が与えられます。すべての汚れは清められ、弱くても病の内にあっても用いられます。そして、最後に天の御国に帰るのです。イエスキリストの内にあって、全てが備えられています。
6 招きと決心の時間
それでは招きと決心の時間を持ちましょう。神様は生きておられ、私たちの心と口の言葉を全部御存知の全能なる神様です。
私たちの人生について、聖書は僅かに現れてやがって消えて行く霧であるとします。霧のような短い人生の中で、イエス様に出会って、罪が赦され、永遠の命を得、神様の子供になって口と心から感謝と讃美を主にささげることほど幸いな人生はありません。今、イエス様を自分の罪のために死んでまた復活された救い主としてお迎えしますように祝福します。ヨハネによる福音書14章6節「イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」」
共に祈りましょう。祈ります。「天の父なる神様。わたしは罪びとです。どこから来て、どうして生まれ、何のために生きて、最後はどこに行くのか知ることもなく、さまよい、ただひたすら生きてきました。私の罪のために、十字架にかかり、罪をきよめる血を流して死なれ、よみがえられたイエス様を、私の救い主としてお迎えします。私はきよめられ、神様の子供になりました。感謝します。今から、いつまでも、主と共におります。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。
皆さんを祝福します。「皆さんの魂が恵まれているように、皆さんがすべての面で恵まれ、健康であるように祝福します。」
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