メッセージ
あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯。(詩編119篇105節)
独り子を与えられた愛
投稿者
toshibetsu
投稿日
2025-12-15 23:02
閲覧数
44
251214利別教会・八雲クリスマス礼拝メッセージ
御言葉:ヨハネによる福音書3章16節
題:独り子を与えられた愛
クリスマス おめでとうございます。
今日は独り子を与えられた愛という題で皆さんとクリスマスの恵みについて分かち合いたいと思います。皆さんはクリスマスと聞くとどんな気持ちになりますか?そうです。嬉しくなりますね。喜びます。それではなぜ、喜ぶのでしょうか。そうです。何かをもらえるような気がするからです。プレゼントをもらう時は、中身に関係なく、ただ、何かをもらうという気持ちだけでも嬉しいものです。また、クリスマスケーキを食べますね。ケーキは見るだけで嬉しいものです。ケーキは、いつ食べるでしょう。そうです。誰かの誕生日の時に食べます。でも、皆さん、いままでクリスマスにはケーキを食べて、プレゼントをもらって共に喜びました。今日はそのケーキの主人公が誰か、そしてなぜ、その主人公が生まれたのかについて、私とそのケーキの主人公とどんな関係があるかについて聖書を読みましょう。
1. クリスマスはイエス様が生まれた日です
クリスマスはキリスト・イエス様が生まれた日です。クリスマスケーキの主人公はイエス様です。今までは何も知らずにケーキを食べたけれども、今日からは「イエス様、生まれてくださってありがとうございます。美味しいケーキ感謝して頂きます」と言ってから食べましょう。
それでは、イエス様がなぜお生まれになったかについての話です。まず、イエス様の名前には意味がありますが、どんな意味があるでしょうか。聖書マタイによる福音書1章21節に「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」とあります。イエスと言う名は「人々をその罪から救う」という意味です。また、キリストという名前の意味は、神様によって遣わされた者、神様に立てられたリーダーである王様や、人と神様の間を取り成す祭司を意味します。なので、イエス・キリストは人々をその罪から救うために神様によって特別に遣わされた方、という意味です。
イエス様のお名前から、イエス様が来られた理由が分かります。それは、私たちをわたしたちの罪から救うためです。私たちは罪と言うとテレビに出る犯罪人を思いがちですが、神様の言葉が書かれてある聖書は、私たち人間を造られた神様の命令に違反することが罪であると言います。例えば、新約聖書のマタイによる福音書5章44節に「しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」とあります。敵をも愛すべきとしたら、家族、親せき、子供たち、友人や隣人を、いつもどんな時にも大切にして愛すべきであるのは当然です。皆さん、一年の終わりですが、今年の一年間、いつも大切にして愛して来たでしょうか。先生、「私は皆を大切にしてがんばりました。だから、その点については罪がないはずです」と言える素晴らしい方もいるかと思います。しかし、聖書はこうも言っています。「いつも喜んでいなさい。どんなことにも感謝しなさい。」この御言葉を完全に100%守ったという人はないと思いますが、また聖書にはこんなことも書かれています。マタイによる福音書5章48節「だから、あなたがたの天の父(私たちを造られた神様のことです)が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」」ここに、私は完全なものだと言える人はいないはずです。でも、ご安心ください。聖書は、「正しい者はいない。一人もいない。」と明かしています。この私たちの、正しくない思い、足りない愛、情けない行い、それが私たちの罪です。咎です。それでも、大きな犯罪でなければ、情けなさや、咎と過失くらいは人間として生きるためには仕方ないことだと思うかも知れません。確かに、この世だけを考えれば、問題がないかもしれません。お互い様と言って赦し合い、我慢し合って、何とか世の中が回っているからです。
しかし、この世の法律に違反したら、罪に問われて罰を受けるように、私たちを造られた神様の律法、御言葉に違反したならば、罪に問われて罰を受けることになります。それは永遠の罰、地獄の罰になります。聖書には「また、人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように」とあります。この世が全部だと思う人もいるかもしれませんが、それは自分の考えで、聖書は死んだら何もかも無くなっておしまい、とは教えていません。神様は、死んでおしまいではなく、死んでから裁きを受けると教えておられます。
それでは、全ての人が持っていると教える、この罪と咎はどうすればよいでしょうか。誰も、自分で自分の罪をなくすことはできません。実は、この問題を解決するために、裁き主である神様ご自身が、この世でただ一つの、確かな方法を与えて下さいました。それが、今日一緒に読んだ聖書の御言葉の内容です。
2. 独り子を与えられた愛
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」神様は私たち一人ひとりの罪は愛されませんが、一人一人を愛しておられます。むしろ、私達を愛して、私達から罪を遠ざけようとして下さいます。罪が私たちに傷を与え、罪が私たちを滅びに陥れ、罪が私たちの関係性を破壊するからです。
なぜ、神様が私を愛するのでしょうか。疑問に思う人もいるでしょう。神様は、どこか遠いところに静かにいらっしゃるので、自分が拝みたいときだけ心を向ければそれで十分だ、と思う方もいらっしゃるでしょう。また、自分の人生、自分で生きていくので放っておいてください、私に構わないで下さい、と言う人もいるでしょう。一体、なぜ、神様は私を愛するのでしょうか。愛するというのは、先ず声を掛けて下さることであり、先ず一緒にいようとして下さることであり、ギクシャクした関係しか持てない状態であっても、先ず関りを持とうとして下さる、そんな行動です。幼稚園の先生やお父さんお母さんは、子供たちにそのように接します。では、神様はなぜ、神様ご自身の尊厳と命を与えるほどに、私を、また、皆さんのお一人お一人を、一方的に、先ず愛するのでしょうか。聖書はその理由を「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された」からである、と語ります。つまり、ご自身のかたちにかたどって、御自身の子供として造られました。だから、私達人間の一人ひとりを一方的に、この上なく愛しておられるのです。
神様は、私たちを愛して、独り子を与えてくださいました。自分の力では、本当の意味で自由になれない、何かに捕らわれがちな私たちを愛して、独り子を与えられました。聖書は、わたくしたち人間が皆、罪と暗闇の力に捕らわれているのだと教えていますが、そんな私たちを愛して、独り子を与えてくださいました。それで、この世に生まれたのがイエス・キリストです。イエス様は、神様の力によって乙女マリアから生まれました。罪がない人間として生まれ、罪のない生涯を歩まれ、最後は十字架に付けられて血を流して死なれました。クリスマスの飾りが真っ赤なのは、イエスキリストの流された血を感謝するためです。罪が一つもないイエス様が真っ赤な血を流して死んだのはなぜでしょうか。それは、罪のない神の子であるイエス様が、私たちの罪を全て身代わりに担って、罰を受けたからでした。イエス様は死んで、墓に葬られてから、三日目によみがえられました。イエス様のよみがえりによって、十字架による罪の解決が完全であることが分かります。
ここには、小さな子供たちの御両親もいらっしゃいます。もし、子供が助けを求めるならば、自分の命を捨ててでも、子供を助けてあげようと、心に決めている方が多くいると思います。同じように、私たちを造られた父なる神様は、私たちを御覧になって、憐れみ、慈しみ、愛して、イエス様を与えて下さいました。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」イエス様はご自身の命を捨てて、身代わりとなって、私たちを罪から救い出して下さいました。
独り子をさえも惜しまずに与えられた父なる神様に感謝し、十字架で死んで救いの道を開いて下さったイエス様に感謝する日、それがクリスマスです。イエス様が自分の罪をすべて背負って十字架で死なれたこと、そして、すべての罪を解決して復活されたことを信じるならば、その人は罪の赦しをいただき、一度死んでから復活する時、イエス様のように復活して、地獄の裁きではなく、天国の永遠の命のプレゼントをいただきます。
それではクリスマスを祝うこの日、イエス様を救い主として心の中にお招きする祈りの時を持ちましょう。イエス様は、私達の罪、咎、過失を一身に担うためにこの世に来られ、十字架で血を流して死んで下さいました。私の罪を解決して、赦しと永遠の命を与えて、いつまででも共に歩んで、私たちの面倒を見て下さるようになるためでした。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」
祈ります。
御言葉:ヨハネによる福音書3章16節
題:独り子を与えられた愛
クリスマス おめでとうございます。
今日は独り子を与えられた愛という題で皆さんとクリスマスの恵みについて分かち合いたいと思います。皆さんはクリスマスと聞くとどんな気持ちになりますか?そうです。嬉しくなりますね。喜びます。それではなぜ、喜ぶのでしょうか。そうです。何かをもらえるような気がするからです。プレゼントをもらう時は、中身に関係なく、ただ、何かをもらうという気持ちだけでも嬉しいものです。また、クリスマスケーキを食べますね。ケーキは見るだけで嬉しいものです。ケーキは、いつ食べるでしょう。そうです。誰かの誕生日の時に食べます。でも、皆さん、いままでクリスマスにはケーキを食べて、プレゼントをもらって共に喜びました。今日はそのケーキの主人公が誰か、そしてなぜ、その主人公が生まれたのかについて、私とそのケーキの主人公とどんな関係があるかについて聖書を読みましょう。
1. クリスマスはイエス様が生まれた日です
クリスマスはキリスト・イエス様が生まれた日です。クリスマスケーキの主人公はイエス様です。今までは何も知らずにケーキを食べたけれども、今日からは「イエス様、生まれてくださってありがとうございます。美味しいケーキ感謝して頂きます」と言ってから食べましょう。
それでは、イエス様がなぜお生まれになったかについての話です。まず、イエス様の名前には意味がありますが、どんな意味があるでしょうか。聖書マタイによる福音書1章21節に「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」とあります。イエスと言う名は「人々をその罪から救う」という意味です。また、キリストという名前の意味は、神様によって遣わされた者、神様に立てられたリーダーである王様や、人と神様の間を取り成す祭司を意味します。なので、イエス・キリストは人々をその罪から救うために神様によって特別に遣わされた方、という意味です。
イエス様のお名前から、イエス様が来られた理由が分かります。それは、私たちをわたしたちの罪から救うためです。私たちは罪と言うとテレビに出る犯罪人を思いがちですが、神様の言葉が書かれてある聖書は、私たち人間を造られた神様の命令に違反することが罪であると言います。例えば、新約聖書のマタイによる福音書5章44節に「しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」とあります。敵をも愛すべきとしたら、家族、親せき、子供たち、友人や隣人を、いつもどんな時にも大切にして愛すべきであるのは当然です。皆さん、一年の終わりですが、今年の一年間、いつも大切にして愛して来たでしょうか。先生、「私は皆を大切にしてがんばりました。だから、その点については罪がないはずです」と言える素晴らしい方もいるかと思います。しかし、聖書はこうも言っています。「いつも喜んでいなさい。どんなことにも感謝しなさい。」この御言葉を完全に100%守ったという人はないと思いますが、また聖書にはこんなことも書かれています。マタイによる福音書5章48節「だから、あなたがたの天の父(私たちを造られた神様のことです)が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」」ここに、私は完全なものだと言える人はいないはずです。でも、ご安心ください。聖書は、「正しい者はいない。一人もいない。」と明かしています。この私たちの、正しくない思い、足りない愛、情けない行い、それが私たちの罪です。咎です。それでも、大きな犯罪でなければ、情けなさや、咎と過失くらいは人間として生きるためには仕方ないことだと思うかも知れません。確かに、この世だけを考えれば、問題がないかもしれません。お互い様と言って赦し合い、我慢し合って、何とか世の中が回っているからです。
しかし、この世の法律に違反したら、罪に問われて罰を受けるように、私たちを造られた神様の律法、御言葉に違反したならば、罪に問われて罰を受けることになります。それは永遠の罰、地獄の罰になります。聖書には「また、人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように」とあります。この世が全部だと思う人もいるかもしれませんが、それは自分の考えで、聖書は死んだら何もかも無くなっておしまい、とは教えていません。神様は、死んでおしまいではなく、死んでから裁きを受けると教えておられます。
それでは、全ての人が持っていると教える、この罪と咎はどうすればよいでしょうか。誰も、自分で自分の罪をなくすことはできません。実は、この問題を解決するために、裁き主である神様ご自身が、この世でただ一つの、確かな方法を与えて下さいました。それが、今日一緒に読んだ聖書の御言葉の内容です。
2. 独り子を与えられた愛
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」神様は私たち一人ひとりの罪は愛されませんが、一人一人を愛しておられます。むしろ、私達を愛して、私達から罪を遠ざけようとして下さいます。罪が私たちに傷を与え、罪が私たちを滅びに陥れ、罪が私たちの関係性を破壊するからです。
なぜ、神様が私を愛するのでしょうか。疑問に思う人もいるでしょう。神様は、どこか遠いところに静かにいらっしゃるので、自分が拝みたいときだけ心を向ければそれで十分だ、と思う方もいらっしゃるでしょう。また、自分の人生、自分で生きていくので放っておいてください、私に構わないで下さい、と言う人もいるでしょう。一体、なぜ、神様は私を愛するのでしょうか。愛するというのは、先ず声を掛けて下さることであり、先ず一緒にいようとして下さることであり、ギクシャクした関係しか持てない状態であっても、先ず関りを持とうとして下さる、そんな行動です。幼稚園の先生やお父さんお母さんは、子供たちにそのように接します。では、神様はなぜ、神様ご自身の尊厳と命を与えるほどに、私を、また、皆さんのお一人お一人を、一方的に、先ず愛するのでしょうか。聖書はその理由を「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された」からである、と語ります。つまり、ご自身のかたちにかたどって、御自身の子供として造られました。だから、私達人間の一人ひとりを一方的に、この上なく愛しておられるのです。
神様は、私たちを愛して、独り子を与えてくださいました。自分の力では、本当の意味で自由になれない、何かに捕らわれがちな私たちを愛して、独り子を与えられました。聖書は、わたくしたち人間が皆、罪と暗闇の力に捕らわれているのだと教えていますが、そんな私たちを愛して、独り子を与えてくださいました。それで、この世に生まれたのがイエス・キリストです。イエス様は、神様の力によって乙女マリアから生まれました。罪がない人間として生まれ、罪のない生涯を歩まれ、最後は十字架に付けられて血を流して死なれました。クリスマスの飾りが真っ赤なのは、イエスキリストの流された血を感謝するためです。罪が一つもないイエス様が真っ赤な血を流して死んだのはなぜでしょうか。それは、罪のない神の子であるイエス様が、私たちの罪を全て身代わりに担って、罰を受けたからでした。イエス様は死んで、墓に葬られてから、三日目によみがえられました。イエス様のよみがえりによって、十字架による罪の解決が完全であることが分かります。
ここには、小さな子供たちの御両親もいらっしゃいます。もし、子供が助けを求めるならば、自分の命を捨ててでも、子供を助けてあげようと、心に決めている方が多くいると思います。同じように、私たちを造られた父なる神様は、私たちを御覧になって、憐れみ、慈しみ、愛して、イエス様を与えて下さいました。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」イエス様はご自身の命を捨てて、身代わりとなって、私たちを罪から救い出して下さいました。
独り子をさえも惜しまずに与えられた父なる神様に感謝し、十字架で死んで救いの道を開いて下さったイエス様に感謝する日、それがクリスマスです。イエス様が自分の罪をすべて背負って十字架で死なれたこと、そして、すべての罪を解決して復活されたことを信じるならば、その人は罪の赦しをいただき、一度死んでから復活する時、イエス様のように復活して、地獄の裁きではなく、天国の永遠の命のプレゼントをいただきます。
それではクリスマスを祝うこの日、イエス様を救い主として心の中にお招きする祈りの時を持ちましょう。イエス様は、私達の罪、咎、過失を一身に担うためにこの世に来られ、十字架で血を流して死んで下さいました。私の罪を解決して、赦しと永遠の命を与えて、いつまででも共に歩んで、私たちの面倒を見て下さるようになるためでした。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」
祈ります。
合計 39
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New 主を知っているか
toshibetsu
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2026.01.11
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救いの角
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2025.12.21
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独り子を与えられた愛
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2025.12.15
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2025.12.07
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2025.11.17
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