メッセージ
あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯。(詩編119篇105節)
どんなときにも感謝
投稿者
toshibetsu
投稿日
2025-12-28 14:29
閲覧数
39
251228利別教会メッセージ
御言葉:テサロニケの信徒への手紙5章18節
題:どんな時にも感謝
先週は救いの角という題でした。イエス様の勝利の力は、十字架と復活にあります。罪の赦しによる救いが与えられるからです。今日は今年一年の最後の主日礼拝です。どんな時にも感謝という題で恵みを頂きたいと思います。
1. どんなことにも
テサロニケの信徒への手紙の5章の16節から18節はもしかしたら聖書を一度も読んだことがない人もどこかで聞いたことがあるくらい有名な御言葉です。事実、15節の最後の部分、すなわち「いつも善を行うよう努めなさい」から16節「いつも喜んでいなさい」17節「絶えず祈りなさい」は命令でもありますが、クリスチャンの権利であり、同時に悩み苦しみの多いこの世で打ち勝つ生き方、そのものでもあります。そのつづきが18節の前半「どんなことにも感謝しなさい。」です。
「どんなことにも感謝しなさい」とあります。どんなことにも、感謝しなさい、という命令です。「どんなこと」ってどんなことを意味するでしょう。英語では出来事を意味するより、in all circumstancesです。直訳するとどんな状況の中でもです。今年、皆さんはどんな状況にあったでしょうか。
自分は去年、正教師試験が終わりました。今年は、牛舎を出た子牛のように、皆さんがいらっしゃる現場に行って、あれもやろう、これもやろうと楽しい計画を心で立てました。しかし、皆さんも御存知のように、元気いっぱいであったSR先生が2月に入院されました。正教師の試験が終わったのは神様の憐れみだと思いましたが、全てのことを御計画しておられる神様の御業であって、SR先生とご家族と、キリストの御体である教会のためのお取り計らいであったと、つくづく、思いました。そして、み旨のままに、身元引受人になり、また、4月から八雲教会の代務をすることになりました。その後、人間の計画には全くなかったことですが、7月の末から12月10日までWN先生が入院されました。またそれだけではなく、10月21日は道南地区委員長になりました。牧場や畑や水田に行って皆さんと交わりをする計画とは関係なく、いろんな状況に置かれたのでした。
教会も皆さんが計画を変えて、その状況、状況に合わせて、愛を実践してくださいました。八雲教会を支え、以前いただいた助けへの恩返しの気持ちで、役員会の皆さんが話し合い、毎月牧師を八雲教会の役員会のために送ってくださいました。14日のクリスマス礼拝にも送ってくださいました。
皆さんの今年の一年はどんなことがあったでしょうか。多分、いろんな出来事や状況があったでしょう。ただ一つ、確かなことは、どんなことも自分の思いや計画通りではなかったということでしょう。病んだり、傷んだり、感情的になったり、憂鬱(鬱:病名、憂鬱:気持ちの状態)になったり、悲しんだり、苦しんだり、また、喜んだり、嬉しい時もあったでしょう。生きているから、また、神様ではなく、人間だから、わたしたちはいろんな時、出来事、状況に戸惑うこともあります。そんな私たちに聖書はどう語りかけているのでしょうか。
2. 感謝しなさい
もう一度18節の前半を読みます。「どんなことにも感謝しなさい。」聖書は、主なる神様はどんなことがあっても、どんな状況があっても、今、その状況の真ん中にいても感謝しなさいと命令します。申し訳ありませんが、感謝することがありませんと言いたい方もいると思います。その気持ちはよく分かります。私たちによく分かることを、創造主である神様が知らないはずがありません。この点がこの御言葉の深みではないでしょうか。感謝することができない出来事、状況が確かにあって、神様も御存知であるにも関わらず、神様が、パウロを通して「感謝しなさい」と語られた理由と目的と深いお考えが確かにあります。その秘密がこの御言葉、18節の後半にあります。
3. キリスト・イエスにおいて
18節を全部読みましょう。「どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」キリスト・イエスにおいては英語で in Christ Jesusです。イエス・キリストの中で、です。私と皆さんがイエス様の中にいる、というのは、何を意味するのでしょう。実はクリスチャンという名前の意味もin Christ Jesusを意味します。それは、私がイエス様の中にとどまって、イエス様が私の中におられて、という意味です。イエス様がぶどうの木で私たちがその枝である状態であり、御言葉が私たちの心の中の大切な地位にとどまっている状態であり、イエス様と「一心同体」であることを意味します。
より具体的には、イエス様のように見て、聞いて、歩いて、働いて、語って、生きることを意味します。もっと簡単に言い替えますと、イエス様の目で、聖書の御言葉を通して、祈って、と言っていいかと思います。どんなことも、どんな状況も、どんな出来事も、イエス様の目で、御言葉を通して、祈ってもう一度見たり考えたりして、感謝しなさい、ということでしょう。また、そうするならば、感謝することができるという約束ではないでしょうか。そのようにして感謝することが、私たちに望んでおられる神様の御心であります。それでは、この手紙を書いたパウロはどうだったでしょうか。パウロはどんなことにも感謝したでしょうか。
4. 万事が益となるように共に働く
使徒言行録16章で、パウロとシラスは悪霊に取りつかれている女奴隷から悪霊を追い出しました。それによってその女奴隷を通して占いで多額のお金を儲けていた主人たちは損害を受けたとして二人を責め立て、二人は何度も鞭に打たれて牢に投げ込まれました。こんな状況にあったならば、皆さん、どうされるのでしょうか。今は新約聖書の使徒言行録を読んだことがあるので結末を知っていますが、もしも自分がそのような状況にあったならば、どうでしょうか。
パウロとシラスはこうしたと聖書は語っています。使徒言行録16章25節です。「真夜中ごろ、パウロとシラスが讃美の歌を歌って神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。」生活の中で、讃美はいつ出ますか。怒りと不平不満でいっぱいの時に出るでしょうか。恵みと感謝がいっぱいになった時に出るでしょうか。もちろん、主日礼拝や祈り会などの公同の礼拝の中で、順序に従って一緒に賛美するときに、自分の心にあった怒りや不平不満が不思議と取り去られて、清められて、目が開かれ、口が開かれて、心から感謝と賛美をささげることができます。それは、主日礼拝の恵みであり、祈り会や、小さくても家庭礼拝の恵みです。
パウロが獄中でこのように感謝と讃美を歌うことができた理由は何でしょう。ローマの信徒への手紙8章28節です。「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」このことを、パウロが知っていたからではないでしょうか。神様を愛し、神様の召しに従って、フィリピに来て、悪霊に取りつかれた女奴隷を憐れんで、悪霊を追い出した。それによって今、苦しみを受けていますが、これはイエス様がご覧になると良いことであり、イエス様の御言葉に照らしても善いことである。
獄中の二人は、どんな御言葉を思い自分たちが置かれた状況に照らしたでしょう。私はマタイによる福音書5章10節から12節であったと思います。「10義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。11わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。12喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」
もう一人、私が尊敬する牧師先生の証しを紹介させていただきます。
5. それでも感謝することがある
韓国は今も、政治の左派と右派の対立が深刻ですが、朝鮮戦争の前にはもっと激しい左右の対立がありました。その時、韓国の南の地域のある町で牧師をされていたソンヤンウォンという牧師がいました。彼には二人の真実で信仰と愛に満ちた息子がいました。上の子はアメリカに留学する直前でした。しかし、その左右の対立があり、左翼の人や軍による反乱が起き、左翼の青年たちが中心になって銃で牧師の二人の息子を殺しました。殺したのが、上の息子の友達でした。そして、その息子たちの葬式が教会で行われました。その時、皆さんが父である牧師であるとしたらどんなメッセージができると思いますか。ソン牧師は、感謝の項目を10題挙げて、語りました。その一つ、私のような罪ある家から殉教者が出たことに感謝します。二つ、多くの聖徒の中で、このような聖徒を預かったことに感謝します。三つ、三男三女の中で一番美しい長男と次男を神様にささげることができ感謝します。四つ、一人の殉教者も貴いのに、二人の殉教者ですので感謝します。五つ、イエス様を信じ、心安らかに死ぬのも祝福であるのに、伝道しながら銃で撃たれて殉教したので感謝します。友たちが銃で撃とうとしたとき、最後までイエス様を伝えたようです。六つ、アメリカに留学しようと準備していた息子がアメリカ、米国よりよい天国に行けて安心することになり感謝します。七つ、私の二人の息子を殺した人を悔い改めに導き、私の子供にしようと愛の心を与えてくださって感謝します。八つ、私の二人の息子の殉教によって多くの天国の子供たちが生まれる信仰が与えられ感謝します。九つ、このような逆境の中にもこのような八つの真理と神様の愛を見つける喜びの心と余裕ある信仰を与えてくださった主イエス様に感謝します。十、このような溢れるばかりの祝福が与えられ感謝します。
6. ビビンバ
今年の一年間皆さんとキムチチゲを食べましたが、一度だけビビンバを食べたことがあります。ビビンバには、特に子供たちが嫌がって普段はあまり食べないような野菜がたっぷり入っています。しかし、その上にたれをかけて混ぜて食べると美味しく食べることができます。いくら体に良くても、苦い野菜を食べるのは嫌です。それでも、韓国ではビビンバを作ってあげると、子供たちでもその苦い野菜、嫌いな野菜も食べることができます。
感謝は甘くて誰でも喜ぶラッキーな出来事、楽しくてうれしい出来事だけでなく、苦くて、嫌で、悲しくて、誰でも避けて通りたいような出来事や状況をも、感謝して美味しく食べるようにするビビンバのたれのようなものだと思います。人間にとって、どんなことにも感謝するというのは、キリスト・イエスにおいてのみ可能なことです。
7. 招きと決心の時間
それでは、招きと決心の時間を持ちたいと思います。一年間、いろんなことが起こり、いろんな状況に遭いました。そのすべてを乗り越えてこの一年を感謝することができるのは、私たちがイエス様に出会って、罪が赦され、永遠の命を得、神様の子供になり、天の御国の希望があったからです。イエス様と結ばれて、イエス様と一心同体になっているからです。自分という存在が、神様の所有とされたからです。今、何か足りないことがあるように思えても、神様を信頼して、このすべての恵みに感謝します。
ここに、まだイエス様を自分の救い主として受け入れていない方がおられますか。それで、苦しい、辛い、悲しい思いでいる方がおられますか。私たちの心に苦いもの、悲しいものを持ち続けることは、父なる神様の御心ではありません。テサロニケの信徒への手紙一5章「16 いつも喜んでいなさい。 17 絶えず祈りなさい。 18 どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」ぜひ、このような歩みへと変えて頂く、救いの恵みを受け取りましょう。
祈ります。「天の父なる神様。わたしは罪びとです。どこから来て、どうして生まれ、何のために生きて、最後はどこに行くのか知ることもなく、さまよい、ただひたすら生きてきました。私の罪のために、十字架にかかり、罪をきよめる血を流して死なれ、よみがえられたイエス様を、私の救い主としてお迎えします。私はきよめられ、神様の子供になりました。感謝します。今から、いつまでも、主と共におります。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。今、共に祈られた皆さまを祝福します。「皆さんの魂が恵まれているように、皆さんがすべての面で恵まれ、健康であるように祝福します。」
御言葉:テサロニケの信徒への手紙5章18節
題:どんな時にも感謝
先週は救いの角という題でした。イエス様の勝利の力は、十字架と復活にあります。罪の赦しによる救いが与えられるからです。今日は今年一年の最後の主日礼拝です。どんな時にも感謝という題で恵みを頂きたいと思います。
1. どんなことにも
テサロニケの信徒への手紙の5章の16節から18節はもしかしたら聖書を一度も読んだことがない人もどこかで聞いたことがあるくらい有名な御言葉です。事実、15節の最後の部分、すなわち「いつも善を行うよう努めなさい」から16節「いつも喜んでいなさい」17節「絶えず祈りなさい」は命令でもありますが、クリスチャンの権利であり、同時に悩み苦しみの多いこの世で打ち勝つ生き方、そのものでもあります。そのつづきが18節の前半「どんなことにも感謝しなさい。」です。
「どんなことにも感謝しなさい」とあります。どんなことにも、感謝しなさい、という命令です。「どんなこと」ってどんなことを意味するでしょう。英語では出来事を意味するより、in all circumstancesです。直訳するとどんな状況の中でもです。今年、皆さんはどんな状況にあったでしょうか。
自分は去年、正教師試験が終わりました。今年は、牛舎を出た子牛のように、皆さんがいらっしゃる現場に行って、あれもやろう、これもやろうと楽しい計画を心で立てました。しかし、皆さんも御存知のように、元気いっぱいであったSR先生が2月に入院されました。正教師の試験が終わったのは神様の憐れみだと思いましたが、全てのことを御計画しておられる神様の御業であって、SR先生とご家族と、キリストの御体である教会のためのお取り計らいであったと、つくづく、思いました。そして、み旨のままに、身元引受人になり、また、4月から八雲教会の代務をすることになりました。その後、人間の計画には全くなかったことですが、7月の末から12月10日までWN先生が入院されました。またそれだけではなく、10月21日は道南地区委員長になりました。牧場や畑や水田に行って皆さんと交わりをする計画とは関係なく、いろんな状況に置かれたのでした。
教会も皆さんが計画を変えて、その状況、状況に合わせて、愛を実践してくださいました。八雲教会を支え、以前いただいた助けへの恩返しの気持ちで、役員会の皆さんが話し合い、毎月牧師を八雲教会の役員会のために送ってくださいました。14日のクリスマス礼拝にも送ってくださいました。
皆さんの今年の一年はどんなことがあったでしょうか。多分、いろんな出来事や状況があったでしょう。ただ一つ、確かなことは、どんなことも自分の思いや計画通りではなかったということでしょう。病んだり、傷んだり、感情的になったり、憂鬱(鬱:病名、憂鬱:気持ちの状態)になったり、悲しんだり、苦しんだり、また、喜んだり、嬉しい時もあったでしょう。生きているから、また、神様ではなく、人間だから、わたしたちはいろんな時、出来事、状況に戸惑うこともあります。そんな私たちに聖書はどう語りかけているのでしょうか。
2. 感謝しなさい
もう一度18節の前半を読みます。「どんなことにも感謝しなさい。」聖書は、主なる神様はどんなことがあっても、どんな状況があっても、今、その状況の真ん中にいても感謝しなさいと命令します。申し訳ありませんが、感謝することがありませんと言いたい方もいると思います。その気持ちはよく分かります。私たちによく分かることを、創造主である神様が知らないはずがありません。この点がこの御言葉の深みではないでしょうか。感謝することができない出来事、状況が確かにあって、神様も御存知であるにも関わらず、神様が、パウロを通して「感謝しなさい」と語られた理由と目的と深いお考えが確かにあります。その秘密がこの御言葉、18節の後半にあります。
3. キリスト・イエスにおいて
18節を全部読みましょう。「どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」キリスト・イエスにおいては英語で in Christ Jesusです。イエス・キリストの中で、です。私と皆さんがイエス様の中にいる、というのは、何を意味するのでしょう。実はクリスチャンという名前の意味もin Christ Jesusを意味します。それは、私がイエス様の中にとどまって、イエス様が私の中におられて、という意味です。イエス様がぶどうの木で私たちがその枝である状態であり、御言葉が私たちの心の中の大切な地位にとどまっている状態であり、イエス様と「一心同体」であることを意味します。
より具体的には、イエス様のように見て、聞いて、歩いて、働いて、語って、生きることを意味します。もっと簡単に言い替えますと、イエス様の目で、聖書の御言葉を通して、祈って、と言っていいかと思います。どんなことも、どんな状況も、どんな出来事も、イエス様の目で、御言葉を通して、祈ってもう一度見たり考えたりして、感謝しなさい、ということでしょう。また、そうするならば、感謝することができるという約束ではないでしょうか。そのようにして感謝することが、私たちに望んでおられる神様の御心であります。それでは、この手紙を書いたパウロはどうだったでしょうか。パウロはどんなことにも感謝したでしょうか。
4. 万事が益となるように共に働く
使徒言行録16章で、パウロとシラスは悪霊に取りつかれている女奴隷から悪霊を追い出しました。それによってその女奴隷を通して占いで多額のお金を儲けていた主人たちは損害を受けたとして二人を責め立て、二人は何度も鞭に打たれて牢に投げ込まれました。こんな状況にあったならば、皆さん、どうされるのでしょうか。今は新約聖書の使徒言行録を読んだことがあるので結末を知っていますが、もしも自分がそのような状況にあったならば、どうでしょうか。
パウロとシラスはこうしたと聖書は語っています。使徒言行録16章25節です。「真夜中ごろ、パウロとシラスが讃美の歌を歌って神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。」生活の中で、讃美はいつ出ますか。怒りと不平不満でいっぱいの時に出るでしょうか。恵みと感謝がいっぱいになった時に出るでしょうか。もちろん、主日礼拝や祈り会などの公同の礼拝の中で、順序に従って一緒に賛美するときに、自分の心にあった怒りや不平不満が不思議と取り去られて、清められて、目が開かれ、口が開かれて、心から感謝と賛美をささげることができます。それは、主日礼拝の恵みであり、祈り会や、小さくても家庭礼拝の恵みです。
パウロが獄中でこのように感謝と讃美を歌うことができた理由は何でしょう。ローマの信徒への手紙8章28節です。「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」このことを、パウロが知っていたからではないでしょうか。神様を愛し、神様の召しに従って、フィリピに来て、悪霊に取りつかれた女奴隷を憐れんで、悪霊を追い出した。それによって今、苦しみを受けていますが、これはイエス様がご覧になると良いことであり、イエス様の御言葉に照らしても善いことである。
獄中の二人は、どんな御言葉を思い自分たちが置かれた状況に照らしたでしょう。私はマタイによる福音書5章10節から12節であったと思います。「10義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。11わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。12喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」
もう一人、私が尊敬する牧師先生の証しを紹介させていただきます。
5. それでも感謝することがある
韓国は今も、政治の左派と右派の対立が深刻ですが、朝鮮戦争の前にはもっと激しい左右の対立がありました。その時、韓国の南の地域のある町で牧師をされていたソンヤンウォンという牧師がいました。彼には二人の真実で信仰と愛に満ちた息子がいました。上の子はアメリカに留学する直前でした。しかし、その左右の対立があり、左翼の人や軍による反乱が起き、左翼の青年たちが中心になって銃で牧師の二人の息子を殺しました。殺したのが、上の息子の友達でした。そして、その息子たちの葬式が教会で行われました。その時、皆さんが父である牧師であるとしたらどんなメッセージができると思いますか。ソン牧師は、感謝の項目を10題挙げて、語りました。その一つ、私のような罪ある家から殉教者が出たことに感謝します。二つ、多くの聖徒の中で、このような聖徒を預かったことに感謝します。三つ、三男三女の中で一番美しい長男と次男を神様にささげることができ感謝します。四つ、一人の殉教者も貴いのに、二人の殉教者ですので感謝します。五つ、イエス様を信じ、心安らかに死ぬのも祝福であるのに、伝道しながら銃で撃たれて殉教したので感謝します。友たちが銃で撃とうとしたとき、最後までイエス様を伝えたようです。六つ、アメリカに留学しようと準備していた息子がアメリカ、米国よりよい天国に行けて安心することになり感謝します。七つ、私の二人の息子を殺した人を悔い改めに導き、私の子供にしようと愛の心を与えてくださって感謝します。八つ、私の二人の息子の殉教によって多くの天国の子供たちが生まれる信仰が与えられ感謝します。九つ、このような逆境の中にもこのような八つの真理と神様の愛を見つける喜びの心と余裕ある信仰を与えてくださった主イエス様に感謝します。十、このような溢れるばかりの祝福が与えられ感謝します。
6. ビビンバ
今年の一年間皆さんとキムチチゲを食べましたが、一度だけビビンバを食べたことがあります。ビビンバには、特に子供たちが嫌がって普段はあまり食べないような野菜がたっぷり入っています。しかし、その上にたれをかけて混ぜて食べると美味しく食べることができます。いくら体に良くても、苦い野菜を食べるのは嫌です。それでも、韓国ではビビンバを作ってあげると、子供たちでもその苦い野菜、嫌いな野菜も食べることができます。
感謝は甘くて誰でも喜ぶラッキーな出来事、楽しくてうれしい出来事だけでなく、苦くて、嫌で、悲しくて、誰でも避けて通りたいような出来事や状況をも、感謝して美味しく食べるようにするビビンバのたれのようなものだと思います。人間にとって、どんなことにも感謝するというのは、キリスト・イエスにおいてのみ可能なことです。
7. 招きと決心の時間
それでは、招きと決心の時間を持ちたいと思います。一年間、いろんなことが起こり、いろんな状況に遭いました。そのすべてを乗り越えてこの一年を感謝することができるのは、私たちがイエス様に出会って、罪が赦され、永遠の命を得、神様の子供になり、天の御国の希望があったからです。イエス様と結ばれて、イエス様と一心同体になっているからです。自分という存在が、神様の所有とされたからです。今、何か足りないことがあるように思えても、神様を信頼して、このすべての恵みに感謝します。
ここに、まだイエス様を自分の救い主として受け入れていない方がおられますか。それで、苦しい、辛い、悲しい思いでいる方がおられますか。私たちの心に苦いもの、悲しいものを持ち続けることは、父なる神様の御心ではありません。テサロニケの信徒への手紙一5章「16 いつも喜んでいなさい。 17 絶えず祈りなさい。 18 どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」ぜひ、このような歩みへと変えて頂く、救いの恵みを受け取りましょう。
祈ります。「天の父なる神様。わたしは罪びとです。どこから来て、どうして生まれ、何のために生きて、最後はどこに行くのか知ることもなく、さまよい、ただひたすら生きてきました。私の罪のために、十字架にかかり、罪をきよめる血を流して死なれ、よみがえられたイエス様を、私の救い主としてお迎えします。私はきよめられ、神様の子供になりました。感謝します。今から、いつまでも、主と共におります。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。今、共に祈られた皆さまを祝福します。「皆さんの魂が恵まれているように、皆さんがすべての面で恵まれ、健康であるように祝福します。」
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