メッセージ
あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯。(詩編119篇105節)
風も波も従う
投稿者
toshibetsu
投稿日
2026-01-18 20:52
閲覧数
41
260118利別教会メッセージ
御言葉:ルカによる福音書8章22節から25節
題:風も波も従う
先週は主を知っているかという題でした。イエス様は、すべての人を支配する権能を持つ救い主として、父なる神様から、この罪深く憂いの多いこの世にいらっしゃいました。主イエスを愛し、ひたすら主をもっともっと知りますように祝福します。今日は風も波も従うという題です。風も波もある人生の航海を絶対的な安全を手に船出する信仰を分かち合いたいと思います。
1. 向こう岸に渡ろう
ルカによる福音書8章22節です。「ある日のこと、イエスが弟子たちと一緒に舟に乗り、「湖の向こう岸に渡ろう」と言われたので、船出した。」イエス様と弟子たちがガリラヤの湖を中心としてその周辺の町で伝道活動をされていたある日のことでした。イエス様が弟子たちと一緒に舟に乗りまして、「湖の向こう岸に渡ろう」と言われました。それで船出しました。大工であったイエス様がこの湖で漁師の仕事をしていた弟子たちに「向こう岸に渡ろう」と言われる風景が目に浮かびます。
湖の向こう岸はどこでしょうか。もちろん、弟子たちはイエス様が指さした町を知っていてそこを目指して船出したでしょう。でも、その町で何があるか、誰が待っているか、また舟の上で何が起こるか知らなかったはずです。その点は、2000年後を生きる私たちと同じです。私たちも2025年から2026年という新しい向こう岸を目指して船出したばかりであって、ある程度計画は立てますが、何が起こるのか、誰と出会うのか、知ることはできないからです。けれども、確かなこともあります。それは、2026年が主によって与えられたということです。2026年を自分が造った方はいらっしゃらないと思います。主が2026年を造られて、主が与えてくださいました。ですから、渡るべき26年を与えてくださった主なるイエス様こそが、向こう岸に渡るようにおできになることを確かに信頼するべきでしょう。2026年という与えられた時間と出来事はすべて、私たちを愛してご自身の命さえ与えられた主からのものであり、その主のご支配の下にあるからです。
2. 突風が吹き下ろして来て
23節です。「渡っていくうちに、イエスは眠ってしまわれた。突風が湖に吹き降ろして来て、彼らは水をかぶり、危なくなった。」船出した舟が湖を渡って行く途中でした。弟子たちは昔の魚釣りの話でもしたのでしょうか。イエス様に何か質問したり、教えを乞うたりはしていなかった様子です。イエス様は眠ってしまわれました。その後で突風が湖に吹き降ろして来ることになります。
イエス様が眠ってしまうことは何を意味するのでしょうか。もちろん、イエス様はいつも献身的に弟子たちの世話をし、弱った人々や病んでいる人々を癒し、御国の福音を伝え、多くの人に御言葉を教えられました。ですから、30歳の若さであったにせよ、疲れていたに違いありません。その体の疲れで眠ってしまわれたかもしれません。しかし、この状況を見ると、霊的な意味も読み取れると思います。イエス様に話す、願う、聞くことを信仰の言葉で祈りと言いますが、この舟の上で弟子たちは、イエス様の疲れた姿に気を遣ったか、遠慮したか、必要性を感じなかったからか分かりませんが、危険な状況になるまで、イエス様に一言も声をかけなかったであろうことです。ガリラヤ湖の突風は有名で、今回の突風も地元の漁師である弟子たちの知らない突風ではありませんでした。知識と経験に従って手を尽くしたことでしょう。
3. イエスを起こし
それで、弟子たちがイエス様を呼び起こしたのは、弟子たちが手を尽くした挙句、おぼれて死にそうになった時でした。24節の前半です。「弟子たちは近寄ってイエスを起こし、「先生、先生、おぼれそうです。」と言った。~」どうにもならないので、最後にイエス様を起こして「先生、先生、おぼれそうです。」と叫びました。
この時点で弟子たちは、イエス様がどんな方なのかまだ知りませんでした。それで、「先生、先生」と呼びました。ただ全力で、そばにいて下さった「先生」に助けを求めただけでした。このような祈りに応えて下さるでしょうか? 主イエス様は、人間のうめき声と呼び求める声を聞き逃すことはありません。詩編121篇4節です。「見よ、イスラエルを見守る方はまどろむことなく、眠ることもない。」それで、イエス様は大勢の群衆に、こう教えられました。マタイによる福音書7章7~9節です。「7「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。 8だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。 9あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。」主イエス様は、弱り果てた魂が御自分を呼び求める声を決して無視されません。主イエス様は、突風の中で呼び求める魂のために、その生活の現場で応えて下さる、慈しみ深く力強い、命の主権者です。ローマの信徒への手紙10章11節、「11聖書にも、「主を信じる者は、だれも失望することがない」と書いてあります。」
では、眠っていたイエス様を起こして、助けを求めた弟子たちにどんな出来事が起こったでしょう。
4. 静まって凪になった
24節を全部読みます。「弟子たちは近寄ってイエスを起こし、「先生、先生、おぼれそうです」と言った。イエスが起き上がって、風と荒波とをお叱りになると、静まって凪になった。」イエス様が起き上がりました。そして、風と荒波とを叱られました。すると、風も荒波も静まって凪になりました。
5. 信仰はどこにあるのか
イエス様は凪になった時、弟子たちに、「大変だったでしょう。眠ってしまってごめんね」とは言われませんでした。代わりに、弟子たちの信仰について問われました。25節の前半です。「イエスは、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と言われた。~」この問いは、質問の形をした指摘です。あなた方には、今は信仰がない、だから信仰を持ちなさい、と仰っています。助かって、「ああよかった」ではなく、「信仰」に留意するように教えられました。向こう岸に渡る航海のこと、今日の突風のこと、弟子たちがおぼれそうになってもイエス様は平安に眠っていたこと、弟子たちが「先生、先生」と叫び求めたこと、そして、イエス様が叱ると突風が凪になったこと、この現状を真摯に受け止めて、あなたがたに必要なのは信仰ですよ、信仰を持ちなさい、と教えられたのです。どんな信仰を持ちなさいと仰るのでしょうか。
6. 風も波も従うではないか
25節を全部読みます。「イエスは、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と言われた。弟子たちは恐れ驚いて、「いったい、この方はどなたなのだろう。命じれば風も波も従うではないか」と互いに言った。」イエス様は、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と聞きましたが、弟子たちはそれに答えることができず、恐れ驚きました。恐れ驚いたのは、信仰の対象である方が目の前におられたことを悟ったからでしょう。ガリラヤ湖の突風の難しさを知っている漁師である弟子たちは、風も波も従わせる方の権能に圧倒されたことでしょう。信頼して仰ぐべき方、信仰の対象である全能なる神様がまさに同じ舟に乗っていたことに気が付いたのです。その方が命じれば、風も波も従う、そういう方であったのに、それも知らずに、一緒に乗っていた、そのことに驚きました。この方が一緒であれば他には何も必要ないということも悟ったでしょう。しかも、このことを悟るためには、こうして舟で向こう岸に向かい、突風に出会わなければならなかったという、自分たちの無知、神様を知ることのできない罪深さをも悟ったことでしょう。
私たちの信仰の対象となる方はただお一人、唯一の神様、天地万物の創造主です。神様ではないものを信仰するのが偶像崇拝であり、迷信であり、この世の宗教です。イエス様は、命じれば風と波も従う方です。この方が私の人生の航海を共にしてくだされば、予測した突風も、予測しなかった突風も、必ず乗り越えることができます。主が命じられるならば、波も風も凪になるからです。必要なのは、主の御言葉です。
そして、もう一つ、イエス様が「あなたがたの信仰はどこにあるのか」という問いには、弟子たちの信仰に対するイエス様の期待が込められています。今は、先ずは自力でがんばって、いよいよダメになってから神様に祈り求める信仰ですが、後にはどうなると予告されたでしょうか。ヨハネによる福音書14章12節です。「はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。」また、苦難の山についてはこう仰いました。マルコによる福音書11章22、23節です。「22そこで、イエスは言われた。「神を信じなさい。23はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。」私たちを覆う問題の突風、病の突風、悩みの突風に対して、イエス様の名によって、出て行け、静まれ、凪になれと信仰を持って宣言する、私と皆さんでありますように祝福します。
7 人生の突風の中で
聖書には、思い掛けない試練に遭った人物が何人も登場します。ヨセフもその一人です。彼は、血のつながった兄たちの手で、ある日、深い穴に投げ込まれ、そのまま奴隷としてエジプトに売られました。エジプトでは、信仰による良心と主人への忠誠を守りましたが、冤罪で、13年間も監獄で生活しました。そのヨセフが人生を諦めることなく、苦難を乗り越えられた力、それは、信仰です。それは、神様が生きておられるという信仰であり、その神様には間違いがなく、信頼する人と共に居て助けてくださるという信仰でした。実際に神様はそのようなお方で、信頼と期待を向けるにふさわしい方です。
彼はその突風ばかりの人生の航海をおよそ終えて向こう岸に着いた時、こう告白しました。創世記50章19節から20節です。「19ヨセフは兄たちに言った。「恐れることはありません。わたしが神に代わることができましょうか。20あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。」神様の御計画は私たちの思いをはるかに超えて高く、神様の御力は私たちの弱さの中で完全に働きます。私たちが主と共に歩むならば、向こう岸に渡り終える時に、ヨセフのように告白する日が訪れます。
8 招きと決心
それでは招きと決心の時間を持ちましょう。ここにまだイエス様を自分の罪のための救い主として受け入れて、神様の子供になっていない方がおられるでしょうか。
私たちは、誰でも自分では制御できない状況に陥ることがあります。しかし、その時にも、私たちと共に人生という海を航海してくださる方がおられます。救い主イエスキリストはどこか遠いところではなく、突風の現場で、すぐそばにおられます。イエス様は、天地万物の創造主であり、主権者です。一つ一つの問題を通して沈んでいくのではなく、御自身を信じるようになることを、切に願っておられます。イザヤ書40章28~29節「28あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。主は、とこしえにいます神 地の果てに及ぶすべてのものの造り主。倦むことなく、疲れることなく その英知は究めがたい。29疲れた者に力を与え 勢いを失っている者に大きな力を与えられる。」
ですから、僅かに現れてやがて消えて行く霧のような人生の中で、救い主に出会い全能者の陰にかくまっていただくより幸いな人生はありません。使徒言行録16章31節は「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」と約束されています。
祈ります。「天の父なる神様。わたしは罪びとです。どこから来て、どうして生まれ、何のために生きて、最後はどこに行くのか知ることもなく、さまよい、ただひたすら生きてきました。私の罪のために、十字架にかかり、罪をきよめる血を流して死なれ、よみがえられたイエス様を、私の救い主としてお迎えします。私はきよめられ、神様の子供になりました。感謝します。今から、いつまでも、主と共におります。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。」皆さまを祝福します。皆さまの魂が恵まれ、すべての面で恵まれ、健やかであるように祝福します。
御言葉:ルカによる福音書8章22節から25節
題:風も波も従う
先週は主を知っているかという題でした。イエス様は、すべての人を支配する権能を持つ救い主として、父なる神様から、この罪深く憂いの多いこの世にいらっしゃいました。主イエスを愛し、ひたすら主をもっともっと知りますように祝福します。今日は風も波も従うという題です。風も波もある人生の航海を絶対的な安全を手に船出する信仰を分かち合いたいと思います。
1. 向こう岸に渡ろう
ルカによる福音書8章22節です。「ある日のこと、イエスが弟子たちと一緒に舟に乗り、「湖の向こう岸に渡ろう」と言われたので、船出した。」イエス様と弟子たちがガリラヤの湖を中心としてその周辺の町で伝道活動をされていたある日のことでした。イエス様が弟子たちと一緒に舟に乗りまして、「湖の向こう岸に渡ろう」と言われました。それで船出しました。大工であったイエス様がこの湖で漁師の仕事をしていた弟子たちに「向こう岸に渡ろう」と言われる風景が目に浮かびます。
湖の向こう岸はどこでしょうか。もちろん、弟子たちはイエス様が指さした町を知っていてそこを目指して船出したでしょう。でも、その町で何があるか、誰が待っているか、また舟の上で何が起こるか知らなかったはずです。その点は、2000年後を生きる私たちと同じです。私たちも2025年から2026年という新しい向こう岸を目指して船出したばかりであって、ある程度計画は立てますが、何が起こるのか、誰と出会うのか、知ることはできないからです。けれども、確かなこともあります。それは、2026年が主によって与えられたということです。2026年を自分が造った方はいらっしゃらないと思います。主が2026年を造られて、主が与えてくださいました。ですから、渡るべき26年を与えてくださった主なるイエス様こそが、向こう岸に渡るようにおできになることを確かに信頼するべきでしょう。2026年という与えられた時間と出来事はすべて、私たちを愛してご自身の命さえ与えられた主からのものであり、その主のご支配の下にあるからです。
2. 突風が吹き下ろして来て
23節です。「渡っていくうちに、イエスは眠ってしまわれた。突風が湖に吹き降ろして来て、彼らは水をかぶり、危なくなった。」船出した舟が湖を渡って行く途中でした。弟子たちは昔の魚釣りの話でもしたのでしょうか。イエス様に何か質問したり、教えを乞うたりはしていなかった様子です。イエス様は眠ってしまわれました。その後で突風が湖に吹き降ろして来ることになります。
イエス様が眠ってしまうことは何を意味するのでしょうか。もちろん、イエス様はいつも献身的に弟子たちの世話をし、弱った人々や病んでいる人々を癒し、御国の福音を伝え、多くの人に御言葉を教えられました。ですから、30歳の若さであったにせよ、疲れていたに違いありません。その体の疲れで眠ってしまわれたかもしれません。しかし、この状況を見ると、霊的な意味も読み取れると思います。イエス様に話す、願う、聞くことを信仰の言葉で祈りと言いますが、この舟の上で弟子たちは、イエス様の疲れた姿に気を遣ったか、遠慮したか、必要性を感じなかったからか分かりませんが、危険な状況になるまで、イエス様に一言も声をかけなかったであろうことです。ガリラヤ湖の突風は有名で、今回の突風も地元の漁師である弟子たちの知らない突風ではありませんでした。知識と経験に従って手を尽くしたことでしょう。
3. イエスを起こし
それで、弟子たちがイエス様を呼び起こしたのは、弟子たちが手を尽くした挙句、おぼれて死にそうになった時でした。24節の前半です。「弟子たちは近寄ってイエスを起こし、「先生、先生、おぼれそうです。」と言った。~」どうにもならないので、最後にイエス様を起こして「先生、先生、おぼれそうです。」と叫びました。
この時点で弟子たちは、イエス様がどんな方なのかまだ知りませんでした。それで、「先生、先生」と呼びました。ただ全力で、そばにいて下さった「先生」に助けを求めただけでした。このような祈りに応えて下さるでしょうか? 主イエス様は、人間のうめき声と呼び求める声を聞き逃すことはありません。詩編121篇4節です。「見よ、イスラエルを見守る方はまどろむことなく、眠ることもない。」それで、イエス様は大勢の群衆に、こう教えられました。マタイによる福音書7章7~9節です。「7「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。 8だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。 9あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。」主イエス様は、弱り果てた魂が御自分を呼び求める声を決して無視されません。主イエス様は、突風の中で呼び求める魂のために、その生活の現場で応えて下さる、慈しみ深く力強い、命の主権者です。ローマの信徒への手紙10章11節、「11聖書にも、「主を信じる者は、だれも失望することがない」と書いてあります。」
では、眠っていたイエス様を起こして、助けを求めた弟子たちにどんな出来事が起こったでしょう。
4. 静まって凪になった
24節を全部読みます。「弟子たちは近寄ってイエスを起こし、「先生、先生、おぼれそうです」と言った。イエスが起き上がって、風と荒波とをお叱りになると、静まって凪になった。」イエス様が起き上がりました。そして、風と荒波とを叱られました。すると、風も荒波も静まって凪になりました。
5. 信仰はどこにあるのか
イエス様は凪になった時、弟子たちに、「大変だったでしょう。眠ってしまってごめんね」とは言われませんでした。代わりに、弟子たちの信仰について問われました。25節の前半です。「イエスは、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と言われた。~」この問いは、質問の形をした指摘です。あなた方には、今は信仰がない、だから信仰を持ちなさい、と仰っています。助かって、「ああよかった」ではなく、「信仰」に留意するように教えられました。向こう岸に渡る航海のこと、今日の突風のこと、弟子たちがおぼれそうになってもイエス様は平安に眠っていたこと、弟子たちが「先生、先生」と叫び求めたこと、そして、イエス様が叱ると突風が凪になったこと、この現状を真摯に受け止めて、あなたがたに必要なのは信仰ですよ、信仰を持ちなさい、と教えられたのです。どんな信仰を持ちなさいと仰るのでしょうか。
6. 風も波も従うではないか
25節を全部読みます。「イエスは、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と言われた。弟子たちは恐れ驚いて、「いったい、この方はどなたなのだろう。命じれば風も波も従うではないか」と互いに言った。」イエス様は、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と聞きましたが、弟子たちはそれに答えることができず、恐れ驚きました。恐れ驚いたのは、信仰の対象である方が目の前におられたことを悟ったからでしょう。ガリラヤ湖の突風の難しさを知っている漁師である弟子たちは、風も波も従わせる方の権能に圧倒されたことでしょう。信頼して仰ぐべき方、信仰の対象である全能なる神様がまさに同じ舟に乗っていたことに気が付いたのです。その方が命じれば、風も波も従う、そういう方であったのに、それも知らずに、一緒に乗っていた、そのことに驚きました。この方が一緒であれば他には何も必要ないということも悟ったでしょう。しかも、このことを悟るためには、こうして舟で向こう岸に向かい、突風に出会わなければならなかったという、自分たちの無知、神様を知ることのできない罪深さをも悟ったことでしょう。
私たちの信仰の対象となる方はただお一人、唯一の神様、天地万物の創造主です。神様ではないものを信仰するのが偶像崇拝であり、迷信であり、この世の宗教です。イエス様は、命じれば風と波も従う方です。この方が私の人生の航海を共にしてくだされば、予測した突風も、予測しなかった突風も、必ず乗り越えることができます。主が命じられるならば、波も風も凪になるからです。必要なのは、主の御言葉です。
そして、もう一つ、イエス様が「あなたがたの信仰はどこにあるのか」という問いには、弟子たちの信仰に対するイエス様の期待が込められています。今は、先ずは自力でがんばって、いよいよダメになってから神様に祈り求める信仰ですが、後にはどうなると予告されたでしょうか。ヨハネによる福音書14章12節です。「はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。」また、苦難の山についてはこう仰いました。マルコによる福音書11章22、23節です。「22そこで、イエスは言われた。「神を信じなさい。23はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。」私たちを覆う問題の突風、病の突風、悩みの突風に対して、イエス様の名によって、出て行け、静まれ、凪になれと信仰を持って宣言する、私と皆さんでありますように祝福します。
7 人生の突風の中で
聖書には、思い掛けない試練に遭った人物が何人も登場します。ヨセフもその一人です。彼は、血のつながった兄たちの手で、ある日、深い穴に投げ込まれ、そのまま奴隷としてエジプトに売られました。エジプトでは、信仰による良心と主人への忠誠を守りましたが、冤罪で、13年間も監獄で生活しました。そのヨセフが人生を諦めることなく、苦難を乗り越えられた力、それは、信仰です。それは、神様が生きておられるという信仰であり、その神様には間違いがなく、信頼する人と共に居て助けてくださるという信仰でした。実際に神様はそのようなお方で、信頼と期待を向けるにふさわしい方です。
彼はその突風ばかりの人生の航海をおよそ終えて向こう岸に着いた時、こう告白しました。創世記50章19節から20節です。「19ヨセフは兄たちに言った。「恐れることはありません。わたしが神に代わることができましょうか。20あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。」神様の御計画は私たちの思いをはるかに超えて高く、神様の御力は私たちの弱さの中で完全に働きます。私たちが主と共に歩むならば、向こう岸に渡り終える時に、ヨセフのように告白する日が訪れます。
8 招きと決心
それでは招きと決心の時間を持ちましょう。ここにまだイエス様を自分の罪のための救い主として受け入れて、神様の子供になっていない方がおられるでしょうか。
私たちは、誰でも自分では制御できない状況に陥ることがあります。しかし、その時にも、私たちと共に人生という海を航海してくださる方がおられます。救い主イエスキリストはどこか遠いところではなく、突風の現場で、すぐそばにおられます。イエス様は、天地万物の創造主であり、主権者です。一つ一つの問題を通して沈んでいくのではなく、御自身を信じるようになることを、切に願っておられます。イザヤ書40章28~29節「28あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。主は、とこしえにいます神 地の果てに及ぶすべてのものの造り主。倦むことなく、疲れることなく その英知は究めがたい。29疲れた者に力を与え 勢いを失っている者に大きな力を与えられる。」
ですから、僅かに現れてやがて消えて行く霧のような人生の中で、救い主に出会い全能者の陰にかくまっていただくより幸いな人生はありません。使徒言行録16章31節は「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」と約束されています。
祈ります。「天の父なる神様。わたしは罪びとです。どこから来て、どうして生まれ、何のために生きて、最後はどこに行くのか知ることもなく、さまよい、ただひたすら生きてきました。私の罪のために、十字架にかかり、罪をきよめる血を流して死なれ、よみがえられたイエス様を、私の救い主としてお迎えします。私はきよめられ、神様の子供になりました。感謝します。今から、いつまでも、主と共におります。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。」皆さまを祝福します。皆さまの魂が恵まれ、すべての面で恵まれ、健やかであるように祝福します。
合計 42
| 手順 | タイトル | 投稿者 | 投稿日 | 推薦 | 閲覧数 |
| 42 |
霊に満たされた人
toshibetsu
|
2026.02.01
|
推薦 1
|
閲覧数 17
|
toshibetsu | 2026.02.01 | 1 | 17 |
| 41 |
主を畏れる人は
toshibetsu
|
2026.01.25
|
推薦 1
|
閲覧数 26
|
toshibetsu | 2026.01.25 | 1 | 26 |
| 40 |
風も波も従う
toshibetsu
|
2026.01.18
|
推薦 2
|
閲覧数 41
|
toshibetsu | 2026.01.18 | 2 | 41 |
| 39 |
主を知っているか
toshibetsu
|
2026.01.11
|
推薦 4
|
閲覧数 38
|
toshibetsu | 2026.01.11 | 4 | 38 |
| 38 |
御言葉の力
toshibetsu
|
2026.01.07
|
推薦 1
|
閲覧数 49
|
toshibetsu | 2026.01.07 | 1 | 49 |
| 37 |
忍耐
toshibetsu
|
2026.01.01
|
推薦 2
|
閲覧数 58
|
toshibetsu | 2026.01.01 | 2 | 58 |
| 36 |
どんなときにも感謝
toshibetsu
|
2025.12.28
|
推薦 1
|
閲覧数 62
|
toshibetsu | 2025.12.28 | 1 | 62 |
| 35 |
あけぼのの光
toshibetsu
|
2025.12.28
|
推薦 1
|
閲覧数 53
|
toshibetsu | 2025.12.28 | 1 | 53 |
| 34 |
救いの角
toshibetsu
|
2025.12.21
|
推薦 1
|
閲覧数 65
|
toshibetsu | 2025.12.21 | 1 | 65 |
| 33 |
独り子を与えられた愛
toshibetsu
|
2025.12.15
|
推薦 2
|
閲覧数 64
|
toshibetsu | 2025.12.15 | 2 | 64 |
