メッセージ

あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯。(詩編119篇105節)

主を畏れる人は

投稿者
toshibetsu
投稿日
2026-01-25 18:10
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260125利別教会メッセージ
御言葉:詩編128篇1節から6節
題:主を畏れる人は
先週は26年の人生の海を航海する中で遭う突風のような嵐の中でも、風も波も従う主が共に居られるならば、平安の内に向こう岸に渡れることを学びました。また、イエス様の弟子として、神様の子として、イエス様の名によって風と波のような突風に、静まれ、凪になれと命令しますように祝福します。今日は幸いな人生、幸いな人、幸いな家族、幸いな事業、幸いな働きのための徳目について、「主を畏れる人は」という題で御言葉を読みたいと思います。
1. 都に上る人
今日の本文の詩編は都に上る歌という標語が付けられています。詩編120篇から134篇までがその歌です。都に上るのはエルサレムに上ることで、エルサレムには神様の神殿がありますから、その神殿に行って礼拝をするために、歩きながら歌った讃美歌です。
今日のメッセージの題は主を畏れる人です。主を畏れる人は誰でしょうかと問われると当時のイスラエルの人々は、その人は年に三度以上、都に上る人ですと答えたと思います。出エジプト記23章17節に「年に三度、男子はすべて、主なる神の御前に出ねばならない。」と戒められているからです。彼らは都に上りながら讃美しました。
2.いかに幸いなことか
1節です。「都に上る歌。いかに幸いなことか 主を畏れ、主の道に歩む人よ。」その礼拝に行きながら歌った歌の歌詞の1節目は「いかに幸いなことか 主を畏れ、主の道に歩む人よ。」です。この128篇の歌詞は一番有名であった歌、詩編1篇と似ています。「1いかに幸いなことか~罪ある者の道にとどまらず~2主の教えを愛し その教えを昼も夜も口ずさむ人。」
人は皆幸いな人になり、幸いな人生を生きることを切に願っています。この世で幸いというと、経済的に豊かで、健康で、長生きで、名誉と地位があって、事業も拡大して、ということを想像するかもしれません。また、価値観の多様化の時代にあって、最近は、自分のやりたいことができる人を幸いな人と考える傾向が強いように思います。聖書はどう教えているでしょうか。
3. 主を畏れ、主の道に歩む
1節です。「1都に上る歌。いかに幸いなことか 主を畏れ、主の道に歩む人よ。」聖書は、幸いな人を「主を畏れて主の道に歩む人」と歌います。この、主を畏れる、というのは、怖がって恐れるのではなく、愛を基本として慎んで敬うことを意味します。また、主の道を歩むとは、神様のみ旨、神様の御思い、神様の御言葉に生きることを意味します。
ですから、創造主であり、主権者であり、裁き主であり、救い主である主なる神様を愛し敬うこと、そして愛し敬うがゆえに、その御旨に歩む人、愛し敬うがゆえに、信頼する人、御言葉を行う人が、幸いであると歌っています。
この、主を愛し敬い、主を信頼して主の御言葉に従い、主の御言葉を行う、というのは、主日礼拝を守ることにとどまらず、生活の現場での従順をも意味します。利別教会の礼拝の祝福の祈りの前に、派遣の言葉を語っています。「これから、本番の生活の礼拝に行きましょう。万軍の主が共におります。」と言います。生活の礼拝とは何でしょうか。それは、私たちがこの世で生きる中での「御言葉への従順」の生活であり、霊とまことによって神様に自分自身をささげる礼拝です。ローマの信徒への手紙12章1、2節です。「1こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなた方に勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。2あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」ですから、この世に同調することなく、むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるように努めなければいけないと教えています。
なぜ、主を畏れ、主の道を歩むべきでしょうか。自分の考えで生きても問題ないのではないかと思う方もいるかもしれません。しかし聖書は神様の道と私たちの道は異なると教えています。イザヤ55章8、9節です。「8わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり わたしの道はあなたたちの道と異なると主は言われる。9天が地を高く超えているように わたしの道は、あなたたちの道をわたしの思いは あなたたちの思いを、高く超えている。」また、神様の道とこの世の習わしの道も異なります。詩編1篇1、2節です。「いかに幸いなことか 神に逆らう者の計らいに従って歩まず 罪ある者の道にとどまらず 傲慢な者と共に座らず2主の教えを愛しその教えを昼も夜も口ずさむ人。」
心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるように努める私と皆さんの一年となりますように祈りましょう。なぜなら、それこそが幸いな人であると聖書が教えているからです。
4. 手の労苦が報われる幸い
2節です。「2あなたの手が労して得たものはすべてあなたの食べ物となる。あなたはいかに幸いなことか いかに恵まれていることか。」ここで、「主を畏れ、主の道に歩む人」に与えられる祝福が歌われています。それは、自分の手の労苦が実を結んで報われる祝福です。また、その収穫物が自分の物になるという祝福です。
種を蒔き、手入れをして、実りを得て、収穫して、貯蔵したり、加工したり、調理したり、そして来年のための種を確保したりできるというのは、創造主の恵みです。適時適切な太陽の光と気温と雨をいただき、種まきから収穫までよい天候が与えられ、冬の雪で必要な水が確保されるというのは、人間には調節できない、創造主の恵みです。家畜が健康であるために、人は手をかけますが、適切な太陽と空気と水が与えられ、牧草が育ち、家畜を健康に養うことができるのは、創造主の恵み、祝福です。
更に、その祝福に感謝して、いただいたものの中から良いものを主にささげ、家族や、子供たちや、隣人や、貧しい人や、主のために働く人々と分かち合うこともまた、神様を愛し畏れ敬い、心から御言葉に従う、まことの礼拝です。
5. 家族が受ける幸い
3節と4節では、家族が受ける幸いを歌っています。「3妻は家の奥にいて、豊かな房をつけるぶどうの木。食卓を囲む子らは、オリーブの若木。4見よ、主を畏れる人はこのように祝福される。」 3節は、妻について書かれています。この御言葉は夫に対する御言葉なのでしょう。神様を畏れ敬い御言葉に従う夫よ、あなたの妻は、あなたの家の奥のすべてを味わい、安心して、満ち足りて生活し、多くの実を結ぶと言っています。また、子供たちはあなたと一緒に食卓を囲み、オリーブの若木のように生き生きとしている、と言っています。このように祝福されると約束します。私たちが主を畏れるならば、家族もこのように幸いをいただくと仰います。妻と夫、子供たち、孫たちのための祈りを込めてもう一度、一緒に読みましょう。「3妻は家の奥にいて、豊かな房をつけるぶどうの木。食卓を囲む子らは、オリーブの若木。4見よ、主を畏れる人はこのように祝福される。」
6. イスラエルに平和
5節、6節です。「5シオンから主があなたを祝福してくださるように。命のある限りエルサレムの繁栄を見 6多くの子や孫を見るように。イスラエルに平和。」主を畏れ、主の道を歩む人、その生き方が礼拝になる人に、シオンから祝福が与えられ、生きている限りエルサレムの繁栄を見、多くの子や孫を見るように、そして住んでいるイスラエルにも平和があるように祈り、祝福し、歌は終わります。主を畏れる人が多くなり、主を畏れる家庭が多くなると、社会も国も祝福されるのは当たり前のことでしょう。ここのシオンとは、エルサレムのことで、神様のご臨在のある神の宮のことです。また、イスラエルとは、アブラハムの契約による子孫のことで神の民、肉の血縁的にはヘブライ人のことです。この旧約のエルサレムやイスラエルが、今の私たちと何の関係があるのでしょうか。
新約聖書を読むと、イエスキリストを救い主として信じた者に聖霊様が住んで下さるので、クリスチャンは自分自身が神の宮です。コリントの信徒への手紙一6章19節「19 知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。」また、クリスチャンは、霊的なイスラエルであって、アブラハムに約束された祝福を受け継ぐ存在です。ガラテヤの信徒への手紙3章7~9節で、「7だから、信仰によって生きる人々こそ、アブラハムの子であるとわきまえなさい。 8聖書は、神が異邦人を信仰によって義となさることを見越して、「あなたのゆえに異邦人は皆祝福される」という福音をアブラハムに予告しました。 9それで、信仰によって生きる人々は、信仰の人アブラハムと共に祝福されています。」
どうして、神様の御前に罪を悔い改めて、イエスキリストの十字架による救いを受け入れたクリスチャンが、このすべての祝福を受けるのでしょうか。それは、私たちが信仰によってイエスキリストと結ばれたからです。コリントの信徒への手紙二5章17節「17だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」イエス様と結ばれた人はだれでも、新しく創造された神の宮、新しいシオン、神の民、新しいイスラエルになります。
7. 主を畏れた人、ダビデ
聖書の人物の中で、主を畏れた人と、反対に主を軽んじた人を挙げるとすれば、皆さんは誰が思い浮かびますか。私は主を畏れ、主の道に歩んだ人として、ダビデを挙げます。もちろん、彼は重い罪を犯して、大変な目に遭うこともありますが、彼は主を畏れ、主の道、主の御声に従って歩みました。それでは、主を畏れなかった人をあげると私はサウルをあげます。
サウルは嫉妬心に従ったので、だんだん嫉妬心に駆られるようになって、婿であるダビデを敵対して殺そうと思うようになり、ダビデを13年間も追いかけました。ある日、そのサウルがダビデを追う途中、お手洗いに行くことになりましたが、急いで探して入った洞窟にはダビデとダビデ一行の400人の群れが隠れていました。ダビデの部下たちは、「サムエル記上24:5主があなたに、『わたしはあなたの敵をあなたの手に渡す。思いどおりにするがよい』と約束されたのは、この時のことです。」と言いましたが、ダビデはサウルの上着の端をひそかに切り取るだけでした。それを切り取ったことさえも、後悔します。そして、こう言います。サムエル記上24章7節です。「兵に言った。「わたしの主君であり、主が油注がれた方に、わたしが手をかけ、このようなことをするのを、主は決して許されない。彼は主が油を注がれた方なのだ。」と言いました。ダビデは主を畏れました。王になって大変な罪を犯し、それを指摘された時も、彼は権力の力で自分の罪を隠そうともしませんでした。ただ、「わたしは主に罪を犯した。」と自分の罪を告白します。主を畏れたからです。
一方サウルは、人の目にはダビデのような目立った罪を犯しませんでしたが、彼は主を畏れるより、自分の人気が無くなるかを恐れました。彼は「アマレクに属するものは一切、滅ぼし尽くせ」という神様の命令に聞き従うことなく、よい羊や牛や、らくだを残して、よくないものだけを殺しました。それを指摘するサムエルにこう言います。サムエル記上15章30節です。「サウルは言った。「わたしは罪を犯しました。しかし、民の長老の手前、イスラエルの手前、どうかわたしを立てて、わたしと一緒に帰ってください。そうすれば、あなたの神、主を礼拝します。」サウルは、サムエルあなたの神、主を礼拝しますと言いました。「あなたの神、主を礼拝します」と言ったのです。サウルには自分の主がいらっしゃいませんでした。人間の目を意識したのです。主を畏れたダビデと人間を恐れたサウルの人生は、天と地のように異なりました。主を畏れ、主の道に歩む人は、なんと幸いなことでしょうか。
8. 招きと決心の時間
それでは、招きと決心の時間を持ちたいと思います。ここにまだ、イエスキリストを自分の罪のための救い主として受け入れていない方がおられるでしょうか。イエス様を自分の救い主として信じ、受け入れる方は、イエス様が主になってくださいます。そして、主を畏れることで、今日読んだ聖書に約束されている、主を畏れる人の祝福が与えられます。僅かに現れてやがて消えて行く霧のような人生の中で、主を知り、主を畏れて生きることより、幸いな人生はありません。この世と次の世で素晴らしい希望があります。テモテへの手紙一4章8節です。「体の鍛錬も多少は役に立ちますが、信心は、この世と来るべき世での命を約束するので、すべての点で益となるからです。」
祈ります。「天の父なる神様。わたしは罪びとです。どこから来て、どうして生まれ、何のために生きて、最後はどこに行くのか知ることもなく、さまよい、ただひたすら生きてきました。私の罪のために、十字架にかかり、罪をきよめる血を流して死なれ、よみがえられたイエス様を、私の救い主としてお迎えします。私はきよめられ、神様の子供になりました。感謝します。今から、いつまでも、主と共におります。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。今、共に祈られた皆さまを祝福します。「皆さんの魂が恵まれているように、すべての面で恵まれ、健康であるように祝福します。」
合計 42
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霊に満たされた人
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主を畏れる人は
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主を知っているか
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独り子を与えられた愛
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