メッセージ

あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯。(詩編119篇105節)

信徒の証 何をして欲しいのか

投稿者
toshibetsu
投稿日
2025-09-15 22:58
閲覧数
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「何をして欲しいのか」
マルコによる福音書10章46~52節
51イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。

今日は、「何をして欲しいのか」という題で、証をします。
1 出来事
私たちの家庭には、2001年1月に、予定より少し早めに長女が生まれました。赤ちゃんは直ぐに手術をして、そのまま集中治療室に入院しました。そして1か月間の治療で体重も増えてきたのですが、ちょうど1か月で天に召されました。大きな試練でした。私の心の底に「悲しみ」と「不安」が一つになって沈んでいました。
1.2 悲しみと不安
親が子供の死を悲しむのは当然ですが、皆さんはどう思われますか?悲しくて眠れないのは人間として当たり前なので、お医者さんにかかって睡眠導入剤を処方してもらうという選択もあるかもしれません。また、与えられた使命のために汗を流すなら、つまり別の事で忙しければ、こういった悲しみは克服しやすくなるかもしれません。どちらもあり得るかも知れません。聖書にはどう書いてあるでしょうか。ヨハネの手紙一1章「4わたしたちがこれらのことを書くのは、わたしたちの喜びがみちあふれるようになるためです。」とあります。ですから、私たちの心を造られた神様の御心は、様々な状況に関わらず、喜びが私たちの内に満ち溢れるようになることです。満ち溢れるようになるというのは、最初から満ち溢れているのではないということです。また、満ち溢れる以上、喜びと相容れない感情は追い出されるということです。
でも、夜ごとに涙が流れて来るとしたら、どうすればよいのでしょうか?今日は、そのような中で、癒し主であり救い主であるイエス様がどのように私を扱って下さったのかを、証させていただきます。
2 神様の主権と愛:安心しなさい、わたしだ
 まず、マルコによる福音書6章45~52節(新共同訳p73)です。イエス様が弟子たちを強いて乗せられたその舟が、逆風に遭った出来事が記録されています。プロの漁師が何人もいたのに、漕ぎ悩みました。イエス様が湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれると、弟子たちはイエス様のことを幽霊だと思い、怯えました。するとイエス様は、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と声を掛けられました。そしてイエス様が舟に乗りこまれると風は静まりました。
このガリラヤ湖での出来事において、イエス様は嵐の主権者であり、弟子たちの命の主権者です。重力と浮力も主が創造し、維持しておられる物理法則です。弟子たちが嵐に遭ったのも、イエス様の指示に従って舟に乗ったからでした。弟子たちが、「先生、今舟に乗るのは賢い選択ではありません。明日にしましょう」と言って乗らなかったならば、今回の逆風には遭っていません。弟子たちをこのタイミングで小舟に乗せたイエス様が、恐れる弟子たちに「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と語られた、それがこの出来事です。
同じように、世と世にあるすべての出来事は神様に属します。また、世の全ての力の上に創造主の主権があります。とんでもないように思われるタイミングの事件であっても、そこには愛なる神様の「時」があって、それは全ての人が罪の赦しと永遠の命を頂くためであると聖書は説明しています。ですから、聖書は、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」という御声に耳を傾け、目をイエス様に向けるように教えています。
私に関して言えば、イエス様はすべての状況を誰よりもご存知ですが、私が母親の胎の中に形づくられる前から、私を御存知であって、私の弱さも罪深さをもありのままに御存知です。その上で私を愛し呼び出して下さったのです。同じように、赤ちゃんが形づくられる前からご存知で愛しておられるのでした。
当時、私の内には、「自分に何か過失があったのではないか」という不安が行き交いました。悶々とした月日を過ごしましたが、感謝なことに、毎日毎週、御言葉の御前に出て行くことが許されていました。そして祈り始めるといつでも、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」という御言葉が心に聞こえてきました。それで、神様の主権と愛に留まり続けることができました。そのようにして私の心と体を養って下さいました。
3.1 私を憐れんで下さい
もう一つ御言葉を御一緒できればと思います。それは今日の本文の、マルコによる福音書10章46~52節(p83)です。生まれながらの盲人バルティマイが、いつものように大都市エリコの道端で物乞いをしていました。そこに、人生の転機が訪れました。イエス様が弟子たちや大勢の群衆と一緒に、彼のそばを通られたからです。バルティマイは、イエス様が来たと聞いて、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫び始めました。多くの人々が𠮟りつけて黙らせようとしましたが、ますます叫び続けました。「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」「わたしを憐れんでください」。イエス様は立ち止まって、「あの男を呼んできなさい」と仰って、バルティマイはイエス様の前に飛んできました。イエス様は何と仰ったでしょうか。「何をしてほしいのか」。盲人は「先生、目が見えるようになりたいのです」と答えました。イエス様は仰いました。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った、とあります。
さて、イエス様は「何をしてほしいのか」と、聞いて下さる方ですが、当時の私は何を求めたでしょうか?悲しみと不安に覆われた状況で、地位や名誉や成功を求める人はいないと思います。それでも当時、私には何を願い求めていいのか、はっきりとは分かりませんでした。悲しみと不安が深かったからだと思います。ただ、一つだけ確かな願いがありました。それは、神様が私の人生に圧倒的な力をもって介入して下さることでした。それで、「私を憐れんでください。慈しみ深い全能なる生ける神様の、圧倒的な恵みを与えてください。圧倒的な恵みで覆ってください。このすべての暗闇に打ち勝って余りある、圧倒的な恵みを与えて下さい」と祈りました。そのような祈りを何度も何度も、何日も何日も、ささげました。
3.2 圧倒的な恵み:イエスキリストに現わされた神の愛
そのような日々のある朝、導かれるままに賛美と祈りをささげながら、福音の御言葉を口ずさんで感謝をささげていたら、聖霊様の与えられる涙があふれてきました。イザヤ53章「5彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。私の受けるべき呪いがあったとしても、それさえもすべて主イエス様が受けられたのです。悲しみと暗闇とを、イエス様の十字架の恵みが打ち砕きました。
ガラテヤ3章「13キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。」最初の人アダムとエバの罪以来、この地は呪われ、全ての人は罪と弱さを身に帯びて生まれてきます。しかし、キリストが呪いを一身に帯びて下さいました。イエス様が踏みにじられ、辱められ、蔑まれ、傷つかれ、血を流され、死なれたので、もはや、私の受けるべき呪いが、全く、ほんの少しも、残ってはいないのでした。
ローマ5章「8しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」愛が確証されました。つまり、神様が誰かを十分に愛しておられるかどうかを、改めて吟味し、調査する必要はないということです。ですから、神は愛です。独り子イエスキリストの命と尊厳を十字架にさらして、私たちに命と尊厳を与えて下さいました。その父なる神の愛は、昨日も今日も永遠に変わりません。また、父なる神は、どんな魂をも例外なく確かに愛しておられます。神様の愛が確証されている以上、神様の愛とこの地上での命の長さに、相関はないのです。ですから、主なる神様は、おなかの中の期間を含めて39週間、私たちに委ねられ、愛され、育まれた長女である赤ちゃんを愛し、また、両親である私たちをも愛しておられると、あまりにもはっきりと聖書に書かれていたのでした。
3.3 何をしてほしいのか 
盲人バルティマイは「先生、目が見えるようになりたいのです」と即座に答えました。バルティマイの癒しは、信仰の模範として聖書に記録されました。もしもバルティマイのように答えることができれば、その問題は、もはや問題ではなくなることでしょう。
でも、バルティマイのように答えるのは、簡単ではありません。自分が本当に何を願っているのかが分からないと願えませんし、惨めな自分の姿で主の御前に出て行かなければ祈れません。また、祈りが聞かれなかった時の失望を恐れると、こうなったらいいなあ、くらいはチラッと思っても、口に出しては祈れません。私などは、「子供を育てさせて下さい」と祈るのは、口に出すことのできない、とてもハードルの高い祈りでした。
しかし備えられた助けによって、少しずつ心の深い所を聖霊様に探っていただきながら、願いを求める祈りをささげました。マタイによる福音書12章20節「正義を勝利に導くまで、彼は傷ついた葦を折らず、くすぶる灯心を消さない。」とあります。消えつつあるローソクのように心の細くなった私を、主は顧みて下さいました。また、ローマの信徒への手紙10章「11聖書にも、「主を信じる者は、だれも失望することがない」とあります。神様は弱りきった魂をそのまま引き受けて下さいますし、御前に小さな者となって祈る者を、高貴な者、VIP(Very Important Person)として受け入れて下さいます。主は、ご自分を頼って出て来る者たちを、がっかりさせられないことを私たちは知っています。
3.4 この世の試練
ところで、イエス様は、盲人バルティマイの目をさっさと目を開けてあげればいいし、むしろ盲人にならないようにされなかった理由が何だろうかと思います。盲人バルティマイは、恥さらしのように煙たがられながら叫ぶしかなかったのでしょうか?目立たないように、そっと癒してはだめなのでしょうか?
イエス様は、彼が「わたしを憐れんでください」と呼ぶのを待たれました。また、自分の口で「目が見えるようになることです」と主に願いを打ち明けるように導かれました。結果的にバルティマイは、目が見えるようになっただけではなく、命の源である救い主、イエス様ご自身を頂きました。イエス様とつながりました。イエス様の命の水が絶えることなくおなかの中から湧き出るようになりました。ヨハネによる福音書7章イエス様がお祭りの終わりの日に、神殿を行き交う人々に大声で呼びかけられた御言葉です。「37 イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。 38わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」」この御言葉のとおりのことが、バルティマイにも起こったことでしょう。更にその水が流れ出て、他の人をも潤す者となったことでしょう。
イエス様は、問題をとおしてこの地上でも後の世でも永遠の命そのものであるご自身を与える方です。そして、御自身と一緒に、問題の解決を与えられる方です。38年間寝たっきりの病人にも、サマリアの井戸端の女性にもそうでした。12年間出血の病を患っていた女性などは、気づかれないようにイエス様の衣に触って既に癒されたのに、イエス様はその女性を呼び出して、御自身を与えられました。問題の解決だけを与えるのは、サタンでもできることです。イエス様は、命であるご自身を与えられます。
彼らは皆、神様を喜ぶ者となり、神様に喜ばれる者となったことでしょう。世の中で最もみすぼらしかったはずの彼らを、神様はVIPとして受け入れ、誇らしげに喜ばれたことでしょう。ヨハネの黙示録21章「3b 見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、 4 彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」この、天上の栄光を、地上でも味わわせてくださる神様です。
4 招きと決心の時
それでは最後に、神様からの招きと決心の時をもちましょう。聖書は、ヨハネによる福音書7章「37b「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。 38わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」」と約束します。今日の礼拝をとおして、イエス様を救い主として受け入れて、神様が共におられるインマヌエルの幸いな歩みを始めたいと思われる方は、胸に手をあてて、ともに信仰を告白して、罪の赦しと永遠の命をいただき、この世では決して奪われることの無い、インマヌエルの恵みを受け継ぎ、後に天の御国で再びお会いしようではありませんか。私が代表で祈りますので、最後に、はい、そうです、という意味で、「アーメン」と信仰を告白されますようお願いします。祈ります。
天の父なる神様。わたしは罪びとです。どこから来て、どうして生まれ、何のために生きて、最後にどこへ行くのか知ることもなく、さまよい、ただひたすらに生きてきました。
私の罪のために、十字架にかかり、罪を清める血を流して死なれ、よみがえられたイエス様を、私の救い主としてお迎えします。私の心の中にお入り下さい。
私は神様の子どもになりました。感謝します。今からいつまででも、主とともにおります。
イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。
5 癒しと祝福の祈り
では、祈りの時を持ちましょう。自分のために、家族のために、教会のために、地域のために、この国と世界のために、この時代のために、「主よ、憐れんでください」と一緒に祈りましょう。
最後に私が代表で祈ります。

父なる神様。悲しみの中で永遠に滅びるしかない罪びとを召し出して、罪の赦し、永遠の命、そして癒しを与え、神様の子として、活ける神様と共に歩む者として下さり感謝します。今捧げました私たちの祈りを受け入れ、応えて下さいますことを信じます。

それでは、癒しと問題の解決のために祈ります。痛い所に手を置いて下さい。悩み苦しみは胸に手を置いて下さい。祈ります。
イエスキリストの御名により祈ります。暗闇と悪いものは力を失い、消えうせるように。病は癒され、問題は解決されますように。
今、主よ、頭の先から足の先まで御覧になって下さい。癌化した細胞を静め、傷んだ組織を修復し、弱った骨と臓器に力を与えて下さい。疲れた心に励ましを与えて下さい。頼る者に御力を現して下さい。イエスキリストの命の湧き水が、おなかの底から今、湧き出ますように。ハレルヤ、感謝します。全身を潤して下さい。感謝します。感謝します。
また、ここに集う神の民が手を上げて祈る時、そこに祝福を与えて下さい。その家を祝福し、農場を祝福し、圃場を祝福し、事業所を祝福し、町を祝福し、この世代を憐れんで祝福して下さい。
イエス様の御名によって感謝して祈ります。アーメン。
合計 28
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一粒の麦
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羊と山羊
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角笛
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ただ一つ知っていること
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主の祝福があるように
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本当に慰められました
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母ナオミ
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21
信徒の証 何をして欲しいのか
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