メッセージ

あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯。(詩編119篇105節)

母ナオミ

投稿者
toshibetsu
投稿日
2025-09-15 23:01
閲覧数
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250914利別教会メッセージ(長寿祝福礼拝)
御言葉:ルツ記1章15節から18節
題:ナオミの信仰
先週は何をしてほしいのかという題で証を頂きました。創造主である神様が、どんな人をも完全に愛しておられることを感謝します。今日は長寿祝福の礼拝です。母ナオミという題で恵みをいただきましょう。
1. 試練
日本でよく聞く女性の名前の一つがナオミです。親がクリスチャンであれば、その信仰を証する名前でしょう。聖書に記録されている実在の人物ナオミは、長寿で、起伏のある人生を歩みました。そしてその人生については、暗い部分も明るい部分もかなり詳しく聖書に記録されました。ナオミの人生を一緒に見てみましょう。
ルツ記1章1節から3節です。「1士師が世を治めていたころ、飢饉が国を襲ったので、ある人が妻と二人の息子を連れて、ユダのベツレヘムからモアブの野に移り住んだ。2その人は名をエリメレク、妻はナオミ、二人の息子はマフロンとキルヨンといい、ユダのベツレヘム出身のエフラタ族の者であった。彼らはモアブの野に着き、そこに住んだ。3夫エリメレクは、ナオミと二人の息子を残して死んだ。」士師が世を治めていた時代は、度々飢饉や異民族の侵略を受けた苦難の時代でした。それはイスラエルの人々が偶像礼拝に一生懸命であったからであると、聖書は説明しています。そのような時代に、エリメレクとナオミの家族も、国を襲った飢饉のために、自分の土地を離れてモアブに移住しました。イスラエルの遠い親戚とはいえ、モアブの地域は外国です。そこでナオミは、夫エリメレクに先立たれ、二人の息子を持つやもめになりました。大きな試練です。しかし、ナオミの試練はそれが終わりではありませんでした。
4節、5節です。「4息子たちはその後、モアブの女を妻とした。一人はオルパ、もう一人はルツといった。十年ほどそこに暮らしたが、5マフロンとキルヨンの二人も死に、ナオミは夫と二人の息子に先立たれ、一人残された。」イスラエルの律法ではモアブの人が主の会衆に加わるのを禁じていましたから、異民族の嫁を迎えることに複雑な思いがあったかも知れません。でも、喜びもあったようです。後の文章を読むと、この異邦人のお嫁さんたちと心を通わせる生活をしていた様子がうかがえます。けれども、その幸せも長くは続きませんでした。息子たちが二人とも、先に死んでしまったのです。ここまでの御言葉を聞くと、娘にナオミと名付けるのは嫌になりそうです。しかし、ナオミの人生はここからです。
2.モアブを去り故国へ
6節、7節の前半です。「6ナオミは、モアブの野を去って国に帰ることにし、嫁たちも従った。主がその民を顧み、食べ物をお与えになったということを彼女はモアブの野で聞いたのである。7ナオミは住み慣れた場所を後にし、二人の嫁もついて行った。~」イスラエルの国の飢饉が終わり、主が食物を与えられたという知らせが届きました。夫も二人の息子も死んでしまい、お嫁さん二人と年老いた自分だけになってしまったナオミに照らされた一筋の光でした。それで、10年以上も住んで住み慣れたモアブの野を後にして、故郷に帰ることにしました。
その時、問題が起きました。お嫁さん二人が、イスラエルに帰ろうとするナオミについて来ました。ナオミは、道すがらお嫁さんたちの説得を試みます。8節の後半から9節です。「自分の里に帰りなさい。あなたたちは死んだ息子にもわたしにもよく尽くしてくれた。どうか主がそれに報い、あなたたちに慈しみを垂れてくださいますように。9どうか主がそれぞれ新しい嫁ぎ先を与え、あなたたちが安らぎを得られますように。」ナオミが二人に別れの口づけをすると、二人は声をあげて泣いて、」二人の嫁はよいお嫁さんたちだったようです。息子たちにも、ナオミにも心を尽くしてくれました。それで、どうか、主があなたたちの誠実に報いてくださり、慈しみを垂れて下さいますように、そして、再婚して安らぎを得るようにと、祝福して別れようとしました。
しかし、ナオミが別れの口づけをすると、二人は声をあげて泣いて、こう言うのです。10節です。「言った。「いいえ、御一緒にあなたの民のもとへ帰ります。」人間的にこの三人は偉いなと思いませんか。すばらしい人たちです。しかし、だからと言ってこのお嫁さんを連れて行くことは、ナオミの良心に適いません。11節から13節でナオミは「私には望みがありませんから」と説明します。それは、ナオミが再婚して子供を産んだとしても、その子供たちが大きくなるまで待たせることはできないからです。
それでどうなったでしょう。14節です。「二人はまた声をあげて泣いた。オルパはやがて、しゅうとめに別れの口づけをしたが、ルツはすがりついて離れなかった。」上の姉嫁のオルパは別れの口づけをして離れましたが、ルツは、それでもすがりついて離れませんでした。ルツは今夜、ナオミが再婚して産んでくれた子供と結婚する夢でも見たのでしょうか。そうではありませんでした。
3. あなたの民、あなたの神
15節です。「ナオミは言った。「あのとおり、あなたの相嫁は自分の民、自分の神のもとへ帰って行こうとしている。あなたも後を追って行きなさい。」」ナオミはルツもオルパのように自分の里に帰りなさい、自分の民、自分の神の所に帰りなさい、優しいような、寂しいような促しでした。16、17節です。「16ルツは言った。「あなたを見捨て、あなたに背を向けて帰れなどと、そんなひどいことを強いないでください。わたしは、あなたの行かれる所に行きお泊りになる所に泊まります。あなたの民はわたしの民あなたの神はわたしの神。17あなたの亡くなる所でわたしも死にそこに葬られたいのです。死んでお別れするのならともかく、そのほかのことであなたを離れるようなことをしたなら、主よ、どうかわたしを幾重にも罰してください。」」ルツのこの告白は何と素晴らしい信仰と愛の告白でしょう。ルツのこの話は、ルツがナオミとナオミの神様と一緒であれば、それ以外は何も要りませんという告白です。死別以外の離別はあり得ないし、死んでも同じところ、同じ墓に葬られましょう、ということです。だから、「あなたに背を向けて帰れなどとそんなひどいことを強いないでください」とルツは言いました。
結局、どうなったのでしょうか。18節です。「同行の決意が固いのを見て、ナオミはルツを説き伏せることをやめた。」二人は一緒に旅を続けて、ついにナオミの故郷であるベツレヘムに至りました。
4. ルツを育まれた神様
ルツはモアブの女性です。モアブはアブラハムの甥子のロトの子孫ですが、早々にアブラハムの神様から離れて、別の神々に仕えました。それで、ルツがお嫁に来た時には、主なる神様を全然知らなかったに違いありません。しかし、この10年間、この家に来て、ナオミやエリメレクと、夫の神様に触れ始めました。主なる神様を知るこの家族は、事ある毎に、異邦人である自分の味方になって、祈ってくれたことでしょう。折に適った御言葉を教えてもくれたことでしょう。過越祭などの礼拝も共に守り、神様がどのように救って下さったのか、伝え聞いたことでしょう。とにかく、共に悲しみ、共に喜んでくれるその家庭生活を通して、慰められ、癒され、この家族の神様に期待を向け始めたことでしょう。そして今、神様はルツに、偶像礼拝の地を離れて神様に従うことを選択する機会を与えて下さったのでしょう。ルツは、ナオミの神様への期待を最後まで握って、ナオミとナオミの神様に従う道を選択しました。
5. ナオミの信仰
ルツ記はルツの信仰を主に記録している歴史書です。けれども、今日はナオミの信仰とナオミの神様について一緒に考えたいと思います。なぜなら、ルツの信仰は、ナオミから受け継がれたはずであるからです。ナオミの信仰は、一言で言うと、いつでも、どこまでも神様を主とする信仰です。
ナオミは、苦難の時にも神様を主と崇めました。この点について一貫していました。ナオミとルツの時代、それはイスラエルの人々が、出エジプトの神様を忘れてほかの神々、異民族の神々を拝んだ時代であり、その偶像礼拝の故に、飢饉や異民族の侵略を受けた、苦難の時代でした。そんな時代に、一家そろって移住した異民族のモアブの地において、主を離れることなく、信仰を守り続けました。
ナオミの言葉はいつも神様が主語になっています。8節にも9節にもナオミは「どうか主が、どうか主が」と嫁たちのために願い祈っています。それでルツも「~死んでお別れするのならともかく、そのほかのことであなたを離れるようなことをしたなら、主よ、どうかわたしを幾重にも罰してください」、「主よ、どうかわたしを~」と祈ります。
 また、夫と二人の息子を失ったにもかかわらず、神様に不平や不満を言わず、神様を離れず、神様の人知を超える御業として受け止めました。夫と息子もいなくなると、神様、どうしてこんなことを私にくださるのですかと文句を言いたくなるのではないでしょうか。信心深いヨブの、信心深かったはずのヨブの妻も、子供たちが死んで、ヨブも病気になると、ヨブ記2章9節で「とこまでも無垢でいるのですか。神を呪って、死ぬ方がましでしょう」と言いました。しかし、ナオミはそうはなりませんでした。神様からいただいたと、すべてをそのまま受け入れました。ナオミに起こった出来事はもちろん幸いなことではありません。敢えて言うならば、不幸な出来事でした。それでも、ナオミは一言も、神様など信じてもだめです。こんな不幸を与えられる神様は要りませんなどと言って神様を侮辱したり、不平、不満をもらすことはありませんでした。ヨブのようでした。ヨブもヨブ記1章21節から22節で「21「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」22このような時にも、ヨブは神を非難することなく、罪を犯さなかった。」と記録されています。
 このようにどんな時にも、神様を忘れず、離れず、不平不満を言わず、神様にすがりついて生きたナオミの信仰を見て来たのがルツであったでしょう。皆さんがルツであったとしたら、ナオミについて行かれるでしょうか? ナオミと一緒にベツレヘムに行って、ナオミが死んでしまったら、ルツはどうなるのでしょうか。一人の外国人にすぎません。それでも、ルツがナオミと一緒にベツレヘムに来たのは、ナオミの神様が、ルツ自身の神様になっていたからでしょう。
 今日は長寿祝福の礼拝です。ルツの母ナオミのように皆さんの長い人生の中でも大変な出来事、つまり試練が多くあったと思います。しかし、そのすべての試練をナオミのように主を信頼して乗り越えて、家族を支え、この教会を今まで支えて導いてくださったと思います。その労を主が豊かに報いてくださることを祈り、またその労に感謝します。年を重ねるとあちこちが痛くなり、時には寂しく思うこともあるでしょう。しかし、イエス様を信じ、主なる神様を父とし、救い主なるイエス様を主と仰ぐ人生こそが、朽ちることのない、永遠に価値のある人生であると信じます。
それでは、招きと決心の時間を持ちましょう。聖書は私たちの人生が僅かの間に現れて、やがて消えて行く霧のようであると語っています。霧のような人生の中でイエス様に出会って、新しい命をいただき、神様の御国を頂くことより幸いな人生はありません。どんな苦難や悩みの中にあっても、神様は真実であり、神様の愛には変更がありません。神は愛です。誰でも、自分が神様から愛されているかどうかについて悩む必要がありません。神様はイエス・キリストをとおして、御自分の愛を確証されたからです。
イエスキリストが、私たちの受けるべき責めと恥と呪いを全て、代わりに受けて下さいました。この方を自分の救い主として受け入れるならば、あらゆる罪は赦され、責めと恥からの自由が与えられ、神様の子とせられ、神様の慈しみに囲まれます。ヨハネによる福音書3章16節「16神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」
共に祈りましょう。
合計 28
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一粒の麦
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羊と山羊
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角笛
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ただ一つ知っていること
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24
主の祝福があるように
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23
本当に慰められました
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母ナオミ
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信徒の証 何をして欲しいのか
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神は愛
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無駄にならない
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