メッセージ
あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯。(詩編119篇105節)
謙遜の王
投稿者
toshibetsu
投稿日
2025-12-07 19:39
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251207利別教会メッセージ
御言葉:ゼカリヤ書9章9~10節
題:謙遜の王
先週は横山タミ姉が証をしてくださり、横山家に現わされた活ける神様の御業に心が動かされました。今日は謙遜の王という題で、この世に来られたイエス様の謙遜を学びたいと思います。
1. 見よ、あなたの王が来る
ゼカリヤ書は預言者ゼカリヤによって紀元前520年から470年の間に書かれた預言書です。エレミヤの預言のとおりに70年の時が満ちてイスラエルの民がバビロン捕囚から帰還し、エルサレム神殿を再建していましたが、その工事は14年間も中断されました。そのような状況の中でイスラエルの民の神殿再建を励ますために、神様がゼカリヤを通して与えられた預言の御言葉です。
また、この預言の御言葉のもう一つの目的は、捕囚から帰還したイスラエルの民にイザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエルなどを通して預言されていたメシアの約束を、更に具体化して希望を与えることでした。ゼカリヤ書の中で神様はイエス様がこの世に一度来られることだけでなく、再び来られる再臨まで語られました。それは、メシアの来臨が確かであることを確証するためでした。9章9~10節は、メシアが最初に来られるとき、どのように来られるのか、どのような姿で来られるのかが預言されています。また、この預言はイエス様が十字架に付けられるためにエルサレムに迎えられた時、その通りに実現しました。
それでは、本文に入りましょう。9節の前半です。「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。~」聖書はここで「大いに踊れ。歓呼の声をあげよ」と命令しています。皆さん、歓呼の声をあげて踊ったことがありますか。自分は、嬉しくて足踏みをして拍手することはありますが、踊ったことはないかも知れません。でも、御言葉が歓呼の声をあげて踊れ、と命令しているので、一応練習して見たいと思います。先生、そんなに嬉しいことがありませんと言いたい方もいるかもしれませんが、喜んで踊ることは高い薬より良いものでしょう。ある牧師が、天の御国の門でイエス様が笑みを浮かべて両手を上げて名前をよびながら迎えに来てくださるのを思って、一日一度以上喜びましょうと言われました。また、この人がイエス様を信じたらいいのに、と思っている人が、イエス様を信じます、アーメンと言う姿を想像して、喜びと歓呼の声をあげ踊りましょう。私と皆さんのこれからの人生には、そのような喜びが絶え間なくありますように祝福します。聖書は「いつも喜んでいなさい」と命令しています。主にあって、いつも喜んでいることが御心であることを、感謝します。
ところで、シオンの娘たち、つまりエルサレムの娘たちに歓呼の声をあげて踊るような出来事があったのでしょうか。もう一度9節の前半を読みましょう。「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。~」歓呼の声をあげて踊る理由は何でしょうか。「あなたの王が来る」からでした。ここで注目したいのが「あなたの王」という表現です。今年も世界中で国や地域の政治のトップ、経済のトップ、企業や団体のトップが交代しました。皆さん、新しい内閣総理大臣に歓呼をあげて踊ったでしょうか。地元の奈良県の方々は歓呼の声をあげて万歳三唱をしました。奈良県の国会議員が内閣総理大臣になったというのは、自分たちに大きな意味があるからです。でも、隣の和歌山県や京都府の人は、万歳三唱まではしなかったかもしれません。なぜなら、わたしの地域出身の総理ではないからです。
だから、聖書は「見よ、あなたの王が来る」と語っています。自分と関わりがない王ではなく、親しい、待ちに待ったわたしの王であるということです。このわたしの王はまずはシオンとイスラエルの娘たちが待ちに待った首を長くして迎えようとした王であります。また、この世の中で、高慢と自己中心の権力者に顧みられず隅っこで苦しむ人々が、夢にも求める王です。またこの王は、イエスキリストを信じて霊的なイスラエルとなった全ての人の王であり、今日、この礼拝でこの聖書を読む私たちの王でもあります。
この王は、アブラハムの子孫、ダビデの子孫として来られる王であって、イスラエルの民は長い間、約束されたこの王の来臨を待ち望んでいました。イザヤ書9章5節です。「5ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる。」これほどの方がいらっしゃって、私たちの王となって下さるのだから、歓呼の声をあげて大いに踊るのです。この方は自分の命のために何十万もの若者を戦争で失っても構わない、この世の王とは異なります。自分のためにではなく、人のために命をかける王です。素晴らしい指導者、愛と憐れみの永遠の父、平和の王であると預言された王です。
2.ろばの子に乗って来る王
それではゼカリヤ書に預言された王の姿を見てみましょう。9節全部を読みましょう。「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者 高ぶることなく、ろばに乗って来る 雌ろばの子であるろばに乗って。」王の姿を語る前に聖書は王になる人の中身を先に示します。王は口も顔も大切ですが、口と顔で王を選ぶとその国は大変になります。口と顔だけで生きる者は大体詐欺師であるからでしょう。なので、王様は中身が一番大切です。エルサレムに来られる王様の中身について、本文は「彼は神に従い、勝利を与えられた者」であると書いています。え。神様に従うことがどうして中身が良いことなのでしょうかと言う方もいるかもしれません。皆さんはどう思われますか。神様に従う人より中身が良い人がこの世にいるのでしょうか。内の夫は、妻は、子供は神様に従って生きるものですと言えるなら、その上ない褒め言葉であるのではないでしょうか。シオンに来られる王は神様に従って、神様の御言葉に従って生きる王であります。そして、勝利を与えられた者です。英語にはhaving salvationと書かれており、救いの勝利をもっている者です。言い換えれば桁違いの力があってすべての戦いで勝利する保証がある方です。神様に従って正しく清く愛と正義をもって生きる王、力と能力があって民のすべての問題を解決し、民のすべての敵と戦って勝つ王、その王がシオンに来られると預言された王です。その王がこの世に来られたイエス様です。
そして、もう一つの中身があります。それが今日のメッセージの題でもある、謙遜と言う中身です。聖書は「高ぶることなく」と語っています。人間が自力でできないことの代表が何かというと謙遜です。自分に一番できないことがあるとしたら、それも謙遜です。中身は何もないのに、中身があるように見せるのがこの私たち人間です。しかし、シオンに来られる王は中身が満杯であるにも関わらず、高ぶらないのです。神様のすべての御言葉に従って生き、イスラエルのすべての民の問題と課題を全部解決し、勝利を持っているのに静かに、何もないもののように来られる王、その王が謙遜の王、イエス・キリストです。
イエス様のその謙遜という中身は、イエス様がいらっしゃる姿に表されていました。9節の後半です。「~彼は神に従い、勝利を与えられた者 高ぶることなく、ろばに乗って来る 雌ろばの子であるろばに乗って。」ある先生から聞いたのですが、戦争に出て行くときや、戦争で勝利した時には、王が大体白い馬に乗るのですが、平和の時、戦争がない平安な時を示すために王たちがろばに乗っていたようです。しかし、シオンに来られる王は、小さい子ろばに乗って来られるのです。先生、小さいろばに乗るのは動物虐待ではないでしょうか。虐待ではありません。もしもその子ろばが話せるならば、「ハレルヤ。感謝します。何という恵み、何という喜びでしょう。私が私の造り主、主を乗せて、エルサレムに入城する時に使われるのは」と喜び踊ったでしょう。しかし、子ろばに乗ってエルサレムに入るイエス様の姿は、凛々しくはなかったでしょう。それでも、イエス様はこのゼカリヤ書の預言の通り、子ろばに乗って来られました。
謙遜って何でしょうか。真の謙遜は預言された通りに御言葉に従うことです。クリスチャンの謙遜も、御言葉に従うことです。私と皆さんが御言葉に聞き、御言葉に従う謙遜なクリスチャンであれますように祈ります。
3.諸国の民に平和が告げられる
その謙遜の王が来られてどんなことをなされるのでしょう。10節です。「わたしはエフライムから戦車をエルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ大河から地の果てにまで及ぶ。」
この御言葉のわたしは神様を、彼は子ろばに乗って来られる王であるイエス様を意味します。謙遜の王イエス様が子ろばに乗って来られてなされるのは平和を実現することです。神様は、エフライム、北イスラエルの国があった所から戦車を、エルサレム、南ユダがあった所から軍馬を絶ちます。戦いの弓も絶たれます。この御言葉は日本の憲法9条と似ているような気もしますが、神様の国、神様の業の特徴です。
もちろん神様は戦いの主であり勝利の主でもあります。また、人間の争いや戦いすらも用いて神様の御業のために使われることもできます。しかし、元々神様の業は武力によりません。先週も聞いた主の御言葉です。ゼカリヤ書4章6節です。「彼は答えて、わたしに言った。「これがゼルバベルに向けられた主の言葉である。武力によらず、権力によらずただわが霊によって、と万軍の主は言われる。」実際にイエス様も武力に対しても武力で対抗することを止められました。ペトロが、イエス様が捕らえられる時、手を伸ばして剣を抜き、大祭司の手下に打ちかかって、片方の耳を切り落としました。その時、マタイ26章52~54節です。「52そこで、イエスは言われた。「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。53わたしが父にお願いできないとでも思うのか。お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう。54しかしそれでは、必ずこうなると書かれている聖書の言葉がどうして実現されよう。」」
イエス様は天地万物を造られた神様ですが、この世を全能の力や武力で生きられませんでした。イエス様は神様によって約束された御言葉に従って生き、その御言葉を実現するのを目当てに生きられました。謙遜とは、御言葉に従うことです。神様の御言葉に従って生きられた謙遜の王、イエス様によって、まことの平和が「諸国の民に告げられ、またイエス様の支配は海から海へ、国から国へ、大河から地の果てまでに及ぶ」ことになりました。
4.謙遜の王、イエス・キリスト
「クリスマス、おめでとうございます。」と、このように挨拶をしても、いつまで、平和の内にこのように挨拶ができるのかと心配する世の中です。今年の世界を見ながら、なおさら、子ろばに乗ってこの世に来られた謙遜の王イエス様を切に求める気持ちになります。この世は力と武力によって左右される弱肉強食の世界です。世界のトップに立ち続けようとする大国と、その大国を力で追い抜くために爪を隠さず武力を頼る大国が対立しています。しかし、どんな大国も、そしてこの日本も、完全で安全な国ではありません。クリスチャンにとっては、信仰の自由が守られることを切に求めますが、歴史を見ると困難な時代が長いのです。
しかし、私たちの本国は、天国です。私たちが属する天国は、謙遜の王、イエス様が支配なさる所です。イエス様は、天地創造の力を持っておられますが、謙遜に、御言葉に従い、子ろばに乗って来られました。この方は、武力によらず、権力によらず、神様に従うことによって、私たちに勝利を与える王です。このイエス様の御支配が、謙遜に御言葉に従おうとする私たち一人ひとりに臨み、家庭に臨み、遣わされたところに臨みますように祈ります。過去と自分を見ると、がっかりすることが多いかもしれませんが、その天国を、本当にわたしたちに与えるために、イエスキリストはこの世に来られました。私たちに謙遜の王を与えて下さったことを感謝し、讃美をささげます。
5.招きと決心と時間
それでは、招きと決心の時間を持ちましょう。イエス様は私たち罪びとの罪を償うために、人となられました。それも、人間の受精卵としておとめマリアの胎内に宿られて、みどりごとして生まれました。それがクリスマスです。そして、神様の御言葉に従って謙遜に生きられました。フィリピの信徒への手紙2章6節から9節です。「6キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、7かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、8へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」へりくだって人になり、へりくだって赤んぼになり、罪多い世の中で人間として生きられ、へりくだって罪人の一人のようになられました。へりくだって極悪人と一緒に十字架で死なれましたが、それは自らその身に私たちの罪を担って下さるためでした。わたしたちがイエス様の従順によって生きるようになるためでした。今、イエス様は全ての人を招いておられます。ヨハネの黙示録3章20節です。「20見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」謙遜の王イエス様は、誰でもない、受け入れるあなたの親しい王として、共に食して、共に語り合い、霊と肉に回復と命を与えて下さることでしょう。
まだ信仰告白をしていない方は、共に、イエス様を受け入れましょう。祈ります。「天の父なる神様。わたしは罪びとです。どこから来て、どうして生まれ、何のために生きて、最後はどこに行くのか知ることもなく、さまよい、ただひたすら生きてきました。私の罪のために、十字架にかかり、罪をきよめる血を流して死なれ、よみがえられたイエス様を、私の救い主としてお迎えします。私はきよめられ、神様の子供になりました。感謝します。今から、いつまでも、主と共におります。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。
皆さまを祝福します。「皆さんの魂が恵まれ、すべての面で恵まれ、健やかでありますように祝福します。」
御言葉:ゼカリヤ書9章9~10節
題:謙遜の王
先週は横山タミ姉が証をしてくださり、横山家に現わされた活ける神様の御業に心が動かされました。今日は謙遜の王という題で、この世に来られたイエス様の謙遜を学びたいと思います。
1. 見よ、あなたの王が来る
ゼカリヤ書は預言者ゼカリヤによって紀元前520年から470年の間に書かれた預言書です。エレミヤの預言のとおりに70年の時が満ちてイスラエルの民がバビロン捕囚から帰還し、エルサレム神殿を再建していましたが、その工事は14年間も中断されました。そのような状況の中でイスラエルの民の神殿再建を励ますために、神様がゼカリヤを通して与えられた預言の御言葉です。
また、この預言の御言葉のもう一つの目的は、捕囚から帰還したイスラエルの民にイザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエルなどを通して預言されていたメシアの約束を、更に具体化して希望を与えることでした。ゼカリヤ書の中で神様はイエス様がこの世に一度来られることだけでなく、再び来られる再臨まで語られました。それは、メシアの来臨が確かであることを確証するためでした。9章9~10節は、メシアが最初に来られるとき、どのように来られるのか、どのような姿で来られるのかが預言されています。また、この預言はイエス様が十字架に付けられるためにエルサレムに迎えられた時、その通りに実現しました。
それでは、本文に入りましょう。9節の前半です。「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。~」聖書はここで「大いに踊れ。歓呼の声をあげよ」と命令しています。皆さん、歓呼の声をあげて踊ったことがありますか。自分は、嬉しくて足踏みをして拍手することはありますが、踊ったことはないかも知れません。でも、御言葉が歓呼の声をあげて踊れ、と命令しているので、一応練習して見たいと思います。先生、そんなに嬉しいことがありませんと言いたい方もいるかもしれませんが、喜んで踊ることは高い薬より良いものでしょう。ある牧師が、天の御国の門でイエス様が笑みを浮かべて両手を上げて名前をよびながら迎えに来てくださるのを思って、一日一度以上喜びましょうと言われました。また、この人がイエス様を信じたらいいのに、と思っている人が、イエス様を信じます、アーメンと言う姿を想像して、喜びと歓呼の声をあげ踊りましょう。私と皆さんのこれからの人生には、そのような喜びが絶え間なくありますように祝福します。聖書は「いつも喜んでいなさい」と命令しています。主にあって、いつも喜んでいることが御心であることを、感謝します。
ところで、シオンの娘たち、つまりエルサレムの娘たちに歓呼の声をあげて踊るような出来事があったのでしょうか。もう一度9節の前半を読みましょう。「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。~」歓呼の声をあげて踊る理由は何でしょうか。「あなたの王が来る」からでした。ここで注目したいのが「あなたの王」という表現です。今年も世界中で国や地域の政治のトップ、経済のトップ、企業や団体のトップが交代しました。皆さん、新しい内閣総理大臣に歓呼をあげて踊ったでしょうか。地元の奈良県の方々は歓呼の声をあげて万歳三唱をしました。奈良県の国会議員が内閣総理大臣になったというのは、自分たちに大きな意味があるからです。でも、隣の和歌山県や京都府の人は、万歳三唱まではしなかったかもしれません。なぜなら、わたしの地域出身の総理ではないからです。
だから、聖書は「見よ、あなたの王が来る」と語っています。自分と関わりがない王ではなく、親しい、待ちに待ったわたしの王であるということです。このわたしの王はまずはシオンとイスラエルの娘たちが待ちに待った首を長くして迎えようとした王であります。また、この世の中で、高慢と自己中心の権力者に顧みられず隅っこで苦しむ人々が、夢にも求める王です。またこの王は、イエスキリストを信じて霊的なイスラエルとなった全ての人の王であり、今日、この礼拝でこの聖書を読む私たちの王でもあります。
この王は、アブラハムの子孫、ダビデの子孫として来られる王であって、イスラエルの民は長い間、約束されたこの王の来臨を待ち望んでいました。イザヤ書9章5節です。「5ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる。」これほどの方がいらっしゃって、私たちの王となって下さるのだから、歓呼の声をあげて大いに踊るのです。この方は自分の命のために何十万もの若者を戦争で失っても構わない、この世の王とは異なります。自分のためにではなく、人のために命をかける王です。素晴らしい指導者、愛と憐れみの永遠の父、平和の王であると預言された王です。
2.ろばの子に乗って来る王
それではゼカリヤ書に預言された王の姿を見てみましょう。9節全部を読みましょう。「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者 高ぶることなく、ろばに乗って来る 雌ろばの子であるろばに乗って。」王の姿を語る前に聖書は王になる人の中身を先に示します。王は口も顔も大切ですが、口と顔で王を選ぶとその国は大変になります。口と顔だけで生きる者は大体詐欺師であるからでしょう。なので、王様は中身が一番大切です。エルサレムに来られる王様の中身について、本文は「彼は神に従い、勝利を与えられた者」であると書いています。え。神様に従うことがどうして中身が良いことなのでしょうかと言う方もいるかもしれません。皆さんはどう思われますか。神様に従う人より中身が良い人がこの世にいるのでしょうか。内の夫は、妻は、子供は神様に従って生きるものですと言えるなら、その上ない褒め言葉であるのではないでしょうか。シオンに来られる王は神様に従って、神様の御言葉に従って生きる王であります。そして、勝利を与えられた者です。英語にはhaving salvationと書かれており、救いの勝利をもっている者です。言い換えれば桁違いの力があってすべての戦いで勝利する保証がある方です。神様に従って正しく清く愛と正義をもって生きる王、力と能力があって民のすべての問題を解決し、民のすべての敵と戦って勝つ王、その王がシオンに来られると預言された王です。その王がこの世に来られたイエス様です。
そして、もう一つの中身があります。それが今日のメッセージの題でもある、謙遜と言う中身です。聖書は「高ぶることなく」と語っています。人間が自力でできないことの代表が何かというと謙遜です。自分に一番できないことがあるとしたら、それも謙遜です。中身は何もないのに、中身があるように見せるのがこの私たち人間です。しかし、シオンに来られる王は中身が満杯であるにも関わらず、高ぶらないのです。神様のすべての御言葉に従って生き、イスラエルのすべての民の問題と課題を全部解決し、勝利を持っているのに静かに、何もないもののように来られる王、その王が謙遜の王、イエス・キリストです。
イエス様のその謙遜という中身は、イエス様がいらっしゃる姿に表されていました。9節の後半です。「~彼は神に従い、勝利を与えられた者 高ぶることなく、ろばに乗って来る 雌ろばの子であるろばに乗って。」ある先生から聞いたのですが、戦争に出て行くときや、戦争で勝利した時には、王が大体白い馬に乗るのですが、平和の時、戦争がない平安な時を示すために王たちがろばに乗っていたようです。しかし、シオンに来られる王は、小さい子ろばに乗って来られるのです。先生、小さいろばに乗るのは動物虐待ではないでしょうか。虐待ではありません。もしもその子ろばが話せるならば、「ハレルヤ。感謝します。何という恵み、何という喜びでしょう。私が私の造り主、主を乗せて、エルサレムに入城する時に使われるのは」と喜び踊ったでしょう。しかし、子ろばに乗ってエルサレムに入るイエス様の姿は、凛々しくはなかったでしょう。それでも、イエス様はこのゼカリヤ書の預言の通り、子ろばに乗って来られました。
謙遜って何でしょうか。真の謙遜は預言された通りに御言葉に従うことです。クリスチャンの謙遜も、御言葉に従うことです。私と皆さんが御言葉に聞き、御言葉に従う謙遜なクリスチャンであれますように祈ります。
3.諸国の民に平和が告げられる
その謙遜の王が来られてどんなことをなされるのでしょう。10節です。「わたしはエフライムから戦車をエルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ大河から地の果てにまで及ぶ。」
この御言葉のわたしは神様を、彼は子ろばに乗って来られる王であるイエス様を意味します。謙遜の王イエス様が子ろばに乗って来られてなされるのは平和を実現することです。神様は、エフライム、北イスラエルの国があった所から戦車を、エルサレム、南ユダがあった所から軍馬を絶ちます。戦いの弓も絶たれます。この御言葉は日本の憲法9条と似ているような気もしますが、神様の国、神様の業の特徴です。
もちろん神様は戦いの主であり勝利の主でもあります。また、人間の争いや戦いすらも用いて神様の御業のために使われることもできます。しかし、元々神様の業は武力によりません。先週も聞いた主の御言葉です。ゼカリヤ書4章6節です。「彼は答えて、わたしに言った。「これがゼルバベルに向けられた主の言葉である。武力によらず、権力によらずただわが霊によって、と万軍の主は言われる。」実際にイエス様も武力に対しても武力で対抗することを止められました。ペトロが、イエス様が捕らえられる時、手を伸ばして剣を抜き、大祭司の手下に打ちかかって、片方の耳を切り落としました。その時、マタイ26章52~54節です。「52そこで、イエスは言われた。「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。53わたしが父にお願いできないとでも思うのか。お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう。54しかしそれでは、必ずこうなると書かれている聖書の言葉がどうして実現されよう。」」
イエス様は天地万物を造られた神様ですが、この世を全能の力や武力で生きられませんでした。イエス様は神様によって約束された御言葉に従って生き、その御言葉を実現するのを目当てに生きられました。謙遜とは、御言葉に従うことです。神様の御言葉に従って生きられた謙遜の王、イエス様によって、まことの平和が「諸国の民に告げられ、またイエス様の支配は海から海へ、国から国へ、大河から地の果てまでに及ぶ」ことになりました。
4.謙遜の王、イエス・キリスト
「クリスマス、おめでとうございます。」と、このように挨拶をしても、いつまで、平和の内にこのように挨拶ができるのかと心配する世の中です。今年の世界を見ながら、なおさら、子ろばに乗ってこの世に来られた謙遜の王イエス様を切に求める気持ちになります。この世は力と武力によって左右される弱肉強食の世界です。世界のトップに立ち続けようとする大国と、その大国を力で追い抜くために爪を隠さず武力を頼る大国が対立しています。しかし、どんな大国も、そしてこの日本も、完全で安全な国ではありません。クリスチャンにとっては、信仰の自由が守られることを切に求めますが、歴史を見ると困難な時代が長いのです。
しかし、私たちの本国は、天国です。私たちが属する天国は、謙遜の王、イエス様が支配なさる所です。イエス様は、天地創造の力を持っておられますが、謙遜に、御言葉に従い、子ろばに乗って来られました。この方は、武力によらず、権力によらず、神様に従うことによって、私たちに勝利を与える王です。このイエス様の御支配が、謙遜に御言葉に従おうとする私たち一人ひとりに臨み、家庭に臨み、遣わされたところに臨みますように祈ります。過去と自分を見ると、がっかりすることが多いかもしれませんが、その天国を、本当にわたしたちに与えるために、イエスキリストはこの世に来られました。私たちに謙遜の王を与えて下さったことを感謝し、讃美をささげます。
5.招きと決心と時間
それでは、招きと決心の時間を持ちましょう。イエス様は私たち罪びとの罪を償うために、人となられました。それも、人間の受精卵としておとめマリアの胎内に宿られて、みどりごとして生まれました。それがクリスマスです。そして、神様の御言葉に従って謙遜に生きられました。フィリピの信徒への手紙2章6節から9節です。「6キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、7かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、8へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」へりくだって人になり、へりくだって赤んぼになり、罪多い世の中で人間として生きられ、へりくだって罪人の一人のようになられました。へりくだって極悪人と一緒に十字架で死なれましたが、それは自らその身に私たちの罪を担って下さるためでした。わたしたちがイエス様の従順によって生きるようになるためでした。今、イエス様は全ての人を招いておられます。ヨハネの黙示録3章20節です。「20見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」謙遜の王イエス様は、誰でもない、受け入れるあなたの親しい王として、共に食して、共に語り合い、霊と肉に回復と命を与えて下さることでしょう。
まだ信仰告白をしていない方は、共に、イエス様を受け入れましょう。祈ります。「天の父なる神様。わたしは罪びとです。どこから来て、どうして生まれ、何のために生きて、最後はどこに行くのか知ることもなく、さまよい、ただひたすら生きてきました。私の罪のために、十字架にかかり、罪をきよめる血を流して死なれ、よみがえられたイエス様を、私の救い主としてお迎えします。私はきよめられ、神様の子供になりました。感謝します。今から、いつまでも、主と共におります。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。
皆さまを祝福します。「皆さんの魂が恵まれ、すべての面で恵まれ、健やかでありますように祝福します。」
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