メッセージ
あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯。(詩編119篇105節)
救いの角
投稿者
toshibetsu
投稿日
2025-12-21 21:24
閲覧数
100
251221利別教会メッセージ
御言葉:ルカによる福音書1章67~75節
題:救いの角
クリスマス、おめでとうございます。クリスマスは神様が私たちのために救い主イエス様を下さった日です。私たちが神様、神様と言うのですが、どんなに立派な人間でも神様になれるものではありません。また、私達が考え出した何者も、本当の神様ではあり得ません。人間の私たちが作ったからです。私たちは、私たちを造られた造り主のみを神様と呼びます。そして、造り主である神様は、私たちを愛して、イエス様をこの世に送ってくださいました。今日は、そのイエス様が救いの角であるという御言葉を味わいたいと思います。
1. ザカリア
今日の本文はイエス様の遠い従兄である洗礼者ヨハネが生まれて八日目の出来事です。洗礼者ヨハネはイエス様の働きを準備するために神様から遣わされた最後の預言者でした。ヨハネのお父さんの名前はザカリアです。主は覚えておられる、という名前です。ザカリアは神様とイスラエルの人々のために、エルサレムの神殿で働く祭司でした。そのザカリアが聖霊に満たされて預言したのが今日の御言葉です。
2.ほめたたえよ
67、68a節です。「67父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。68a「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。~」」ザカリアは年老いた自分たち夫婦に子供が生まれるという神様の御言葉を信じ切れなかったために話すことも聞くこともできなくなりました。洗礼者ヨハネが生まれるまで10か月間、何も話せなかったザカリアの口から、最初に出てきた言葉、それは「ほめたたえよ」でした。「ああ、大変だった。」ではありませんでした。神様の愛と力を信じられなかった彼は10か月間、妻のエリサベトのおなかが大きくなるのを目の当たりにしたことでしょう。また、イエス様の母のマリアが、イエス様を胎内に宿した状態で、ザカリアの家を訪問して3か月間滞在しました。ザカリアは、このすべての出来事を見て、心から、感謝と賛美に満たされ続けたことでしょう。そんなザカリアの中から溢れ出てきた言葉が、「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。」でした。ザカリアが主をほめたたえた理由は何でしょう。
3.その民を訪れて解放し
68b節です。「「主はその民を訪れて解放し、」ザカリアは、天使ガブリエルとのやり取りと息子ヨハネの誕生を通して、救い主の訪れを自分の身を持って体験しました。神である主が御自ら、この世に生まれ、この罪と暗闇の世の中に宿られること、そして息子ヨハネが、多くの人々を主のもとに立ち帰らせることを悟って、聖霊に心動かされ「ほめたたえよ、イスラエルの神なる主を。」と感激の讃美をささげました。
4.ダビデの家に起こされた救いの角
69節です。「69我らのために救いの角を、僕ダビデの家から起こされた。」角は力を意味し、勝利を意味します。マリアはザカリアの家を訪問していましたから、おとめマリアの胎に子供が宿ったことを、ザカリアも知っていたでしょう。マリアはダビデの子孫で大工ヨセフのいいなずけです。ですから、確かにダビデの家からイエス様が生まれられます。71節には「71それは、我らの敵、すべての我らを憎む者の手からの救い。」とあります。つまり、救いの角は、敵、すべての憎む者の手からの救いを与えます。この、僕ダビデの家から起こされる救いの角こそが、クリスマスに生まれた主イエス・キリストです。
ここで、我らの敵、我らを憎む者は誰でしょうか。皆さん、皆さんの敵は誰ですか。この聖書に書かれている「敵」は、自分を憎む人や、戦争を仕掛けてくる相手の国の支配者などではありません。我らの敵、それは、悪魔、サタンとその下にある暗闇の諸霊、すなわち神様に背いた天使たちです。
では、敵はどのようにして私たちを攻撃するのでしょうか。悪魔、サタンは目に見えない霊的な存在ですが、聖書にはその姿が説明されています。ヨハネの黙示録13章1節です。「わたしはまた、一匹の獣が海の中から上って来るのを見た。これには十本の角と七つの頭があった。」この海から上って来る一匹の獣が悪魔、サタンです。七つの頭はそのサタンの奴隷になってこの世を支配する王や支配者を意味します。思い浮かぶ人たちがいますか?そして、十本の角ですが、角は力を意味しますので、サタンには物凄い力があることがわかります。このような霊的で力あるサタンと戦って、自力で勝利できる人は一人もいません。
サタンは、私たちを誘惑して、唆して罪を犯させる力を持っています。エデンの園で女に近づいて、「取って食べたらいいよ、決して死ぬことはない。神様のようになる」と、騙して誘惑しました。その時、エバは、それでいいと思ったのです。サタンは今も、私たちを角で刺します。サタンは私たちの知性と感情と思いと心に働きかけて、人間を騙します。私たちの判断や意志を誤らせます。神様の戒めを破って罪を犯させます。ヨハネによる福音書8章34節に「イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。」」とあります。騙されて罪を犯すと、人は誰でも罪の奴隷、サタンの奴隷になってしまいます。
悪魔はどうやって人を騙すのでしょうか。例えば、「神様なんかいない」と思わせます。神様の似姿に貴い存在として形づくられたのに、自分の事を「偶然生まれた」と思わせます。それで、自分を大切にしない、また友たちを無視したり踏みにじることに慣れていて、いじめや暴力事件が起こります。「裁きなんかない」、「死んだら終わり」と思わせます。それで、この世中心、金中心、自分中心になって、利己的になります。他の人を助けて隣人や家族の必要を満たす力を失います。こうして、サタンは私たちを、無力な罪の奴隷とならせます。神様の戒めを破って罪を犯させて、無力化して、全てを諦めさせます。家族や職場の人間関係が破壊され、社会には暴力と葛藤がまん延します。地域と地域、国と国の関係も同じです。
このように敵サタンの手の中で罪の奴隷となるしかない、私たち人間のために、神様は救いの角イエス・キリストを送ってくださいました。ヨハネの手紙一3章8b節です。「悪魔の働きを滅ぼすためにこそ、神の子が現れたのです。」神の子イエスキリストは、この悪魔の力を打ち砕いて、その働きを全く滅ぼし尽くすために、この世にこられました。イエス様こそが私たちの頼るべき救いの角です。
では、イエス様はどのようにして悪魔の力を打ち砕き、その働きを滅ぼして私たちを救われるのでしょうか。それは、イエス様の十字架の死と復活によります。
5.救いの角の力
十字架の死がなぜ救いの力になるのでしょうか。皆さんの誰かが大きな過失を犯して、自分では賠償できないとしたら、両親や家族や友人が代りに賠償して、その人をその罪と咎の責めから助け出そうとします。それは簡単な事ではなく、一生かけても償いきれないこともあるでしょう。それでも、償おうとします。力になってくれます。
しかし、私たちがサタンに唆されて、天の父に対して犯した罪はどうでしょう。誰も代わりに償うことができません。人間はだれでも、神様の前で罪人であるからです。偉い父母、祖父祖母も例外ではありません。しかしイエス様は、罪のない完全な人としてこの世に生まれました。人間が自分では決して償うことのできない罪を、身代わりに担って十字架で血を流して死なれるためでした。父なる神様は、なぜ、そのようにひどい刑罰をイエス様に受けさせたのでしょうか。聖書にはこう書かれています。ヘブライ人への手紙9章22b節「血を流すことなしには罪の赦しはありえないのです。」とあります。罪を赦すためには、血を流して死んで下さるしかなかったからでした。そうして、イエスキリストを通して、コロサイの信徒への手紙2章「13 神は、わたしたちの一切の罪を赦し、 14 規則によってわたしたちを訴えて不利に陥れていた証書を破棄し、これを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。」私たちに対するあらゆる責めを、キリストの十字架に釘付けにして、無効として下さったのです。こうして、神の子イエスキリストは悪魔の働きを滅ぼされました。これが、救いの角の勝利の力です。
でも、本当に罪が解決されて勝利したと、どうしてわかるのでしょうか。当然の疑問だと思います。大抵の宗教では、良い行いを沢山することが、罪の解決とされます。でも、罪は残るのですから、罪の解決にはなっていません。しかし、聖書には答えがあります。それがイエス様の復活です。イエス様は聖書に預言された通りに、処女マリアに宿って、ダビデの子孫として来られ、預言のとおりに御業を行い、預言のとおりに十字架で血を流して死なれ、罪を解決しましたが、それで終わりではなく、死んで三日目に聖書の預言のとおりに復活なされました。罪ある人間は、復活できません。イエス様の復活はイエス様がメシアであること、罪の問題を完全に解決したことを証します。
6.預言者たちに語られたとおりに
ザカリアの預言にもどりましょう。70~72節です。「70昔から聖なる預言者たちの口を通して語られたとおりに。~72主は我らの先祖を憐れみ、その聖なる契約を覚えていてくださる。」旧約聖書とすべての預言書は救いの角、救い主イエス・キリストが来ることを約束し、預言しています。ザカリアも旧約聖書に通じていたことでしょう。メシアの預言が成就しつつあるのを知って、「ほめたたえよ、ほめたたえよ」と歌ったに違いありません。
73から75節です。「73これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。こうして我らは、74敵の手から救われ、恐れなく主に仕える、75生涯、主の御前に清く正しく。」アブラハムに立てられた神様の誓いは創世記22章17、18節にあります。「17あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。18地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」」神様はアブラハムの子孫として、また後にはダビデの家から救いの角、救い主を与えてくださることを、古くから示しておられました。
そして、時が満ちて、その救い主がこの暗闇の世に来られ、十字架と復活の御業をとおして、悪魔の仕業を無力化して下さいました。悪魔の城門は既に勝ち取られ、祝福を与え、生涯にわたり、恐れなく主の御前を歩む、神様の子供として下さいました。
わたしたちを罪と悪魔の力から救い、神様の子供にしてくださったイエス様に感謝しましょう。今日は救い主の聖誕を祝う喜ばしい日です。ここにまだ、敵サタンの攻撃を受けて苦しむ人、まだイエス様を自分の罪のための救い主として受け入れていない方、信じない方がいらっしゃるならば、今日、イエス様を自分の救いの角、救い主として呼び求めますようにお勧めします。
また、既にイエス様を救い主として受け入れた方は、イエス様の救いの角の力である十字架の死と復活を御自分のこれからの人生の力として信仰生活に励んでいけますように祈ります。イエス様が命をもって私たちを愛したように、私たちも家族や隣人を愛し、忍耐し、赦しますように祈ります。また復活の希望を持って、永遠の命を味わいながら、愛し、忍耐し、赦し、損する、一粒の麦となれますように祈ります。祈ります。
御言葉:ルカによる福音書1章67~75節
題:救いの角
クリスマス、おめでとうございます。クリスマスは神様が私たちのために救い主イエス様を下さった日です。私たちが神様、神様と言うのですが、どんなに立派な人間でも神様になれるものではありません。また、私達が考え出した何者も、本当の神様ではあり得ません。人間の私たちが作ったからです。私たちは、私たちを造られた造り主のみを神様と呼びます。そして、造り主である神様は、私たちを愛して、イエス様をこの世に送ってくださいました。今日は、そのイエス様が救いの角であるという御言葉を味わいたいと思います。
1. ザカリア
今日の本文はイエス様の遠い従兄である洗礼者ヨハネが生まれて八日目の出来事です。洗礼者ヨハネはイエス様の働きを準備するために神様から遣わされた最後の預言者でした。ヨハネのお父さんの名前はザカリアです。主は覚えておられる、という名前です。ザカリアは神様とイスラエルの人々のために、エルサレムの神殿で働く祭司でした。そのザカリアが聖霊に満たされて預言したのが今日の御言葉です。
2.ほめたたえよ
67、68a節です。「67父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。68a「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。~」」ザカリアは年老いた自分たち夫婦に子供が生まれるという神様の御言葉を信じ切れなかったために話すことも聞くこともできなくなりました。洗礼者ヨハネが生まれるまで10か月間、何も話せなかったザカリアの口から、最初に出てきた言葉、それは「ほめたたえよ」でした。「ああ、大変だった。」ではありませんでした。神様の愛と力を信じられなかった彼は10か月間、妻のエリサベトのおなかが大きくなるのを目の当たりにしたことでしょう。また、イエス様の母のマリアが、イエス様を胎内に宿した状態で、ザカリアの家を訪問して3か月間滞在しました。ザカリアは、このすべての出来事を見て、心から、感謝と賛美に満たされ続けたことでしょう。そんなザカリアの中から溢れ出てきた言葉が、「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。」でした。ザカリアが主をほめたたえた理由は何でしょう。
3.その民を訪れて解放し
68b節です。「「主はその民を訪れて解放し、」ザカリアは、天使ガブリエルとのやり取りと息子ヨハネの誕生を通して、救い主の訪れを自分の身を持って体験しました。神である主が御自ら、この世に生まれ、この罪と暗闇の世の中に宿られること、そして息子ヨハネが、多くの人々を主のもとに立ち帰らせることを悟って、聖霊に心動かされ「ほめたたえよ、イスラエルの神なる主を。」と感激の讃美をささげました。
4.ダビデの家に起こされた救いの角
69節です。「69我らのために救いの角を、僕ダビデの家から起こされた。」角は力を意味し、勝利を意味します。マリアはザカリアの家を訪問していましたから、おとめマリアの胎に子供が宿ったことを、ザカリアも知っていたでしょう。マリアはダビデの子孫で大工ヨセフのいいなずけです。ですから、確かにダビデの家からイエス様が生まれられます。71節には「71それは、我らの敵、すべての我らを憎む者の手からの救い。」とあります。つまり、救いの角は、敵、すべての憎む者の手からの救いを与えます。この、僕ダビデの家から起こされる救いの角こそが、クリスマスに生まれた主イエス・キリストです。
ここで、我らの敵、我らを憎む者は誰でしょうか。皆さん、皆さんの敵は誰ですか。この聖書に書かれている「敵」は、自分を憎む人や、戦争を仕掛けてくる相手の国の支配者などではありません。我らの敵、それは、悪魔、サタンとその下にある暗闇の諸霊、すなわち神様に背いた天使たちです。
では、敵はどのようにして私たちを攻撃するのでしょうか。悪魔、サタンは目に見えない霊的な存在ですが、聖書にはその姿が説明されています。ヨハネの黙示録13章1節です。「わたしはまた、一匹の獣が海の中から上って来るのを見た。これには十本の角と七つの頭があった。」この海から上って来る一匹の獣が悪魔、サタンです。七つの頭はそのサタンの奴隷になってこの世を支配する王や支配者を意味します。思い浮かぶ人たちがいますか?そして、十本の角ですが、角は力を意味しますので、サタンには物凄い力があることがわかります。このような霊的で力あるサタンと戦って、自力で勝利できる人は一人もいません。
サタンは、私たちを誘惑して、唆して罪を犯させる力を持っています。エデンの園で女に近づいて、「取って食べたらいいよ、決して死ぬことはない。神様のようになる」と、騙して誘惑しました。その時、エバは、それでいいと思ったのです。サタンは今も、私たちを角で刺します。サタンは私たちの知性と感情と思いと心に働きかけて、人間を騙します。私たちの判断や意志を誤らせます。神様の戒めを破って罪を犯させます。ヨハネによる福音書8章34節に「イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。」」とあります。騙されて罪を犯すと、人は誰でも罪の奴隷、サタンの奴隷になってしまいます。
悪魔はどうやって人を騙すのでしょうか。例えば、「神様なんかいない」と思わせます。神様の似姿に貴い存在として形づくられたのに、自分の事を「偶然生まれた」と思わせます。それで、自分を大切にしない、また友たちを無視したり踏みにじることに慣れていて、いじめや暴力事件が起こります。「裁きなんかない」、「死んだら終わり」と思わせます。それで、この世中心、金中心、自分中心になって、利己的になります。他の人を助けて隣人や家族の必要を満たす力を失います。こうして、サタンは私たちを、無力な罪の奴隷とならせます。神様の戒めを破って罪を犯させて、無力化して、全てを諦めさせます。家族や職場の人間関係が破壊され、社会には暴力と葛藤がまん延します。地域と地域、国と国の関係も同じです。
このように敵サタンの手の中で罪の奴隷となるしかない、私たち人間のために、神様は救いの角イエス・キリストを送ってくださいました。ヨハネの手紙一3章8b節です。「悪魔の働きを滅ぼすためにこそ、神の子が現れたのです。」神の子イエスキリストは、この悪魔の力を打ち砕いて、その働きを全く滅ぼし尽くすために、この世にこられました。イエス様こそが私たちの頼るべき救いの角です。
では、イエス様はどのようにして悪魔の力を打ち砕き、その働きを滅ぼして私たちを救われるのでしょうか。それは、イエス様の十字架の死と復活によります。
5.救いの角の力
十字架の死がなぜ救いの力になるのでしょうか。皆さんの誰かが大きな過失を犯して、自分では賠償できないとしたら、両親や家族や友人が代りに賠償して、その人をその罪と咎の責めから助け出そうとします。それは簡単な事ではなく、一生かけても償いきれないこともあるでしょう。それでも、償おうとします。力になってくれます。
しかし、私たちがサタンに唆されて、天の父に対して犯した罪はどうでしょう。誰も代わりに償うことができません。人間はだれでも、神様の前で罪人であるからです。偉い父母、祖父祖母も例外ではありません。しかしイエス様は、罪のない完全な人としてこの世に生まれました。人間が自分では決して償うことのできない罪を、身代わりに担って十字架で血を流して死なれるためでした。父なる神様は、なぜ、そのようにひどい刑罰をイエス様に受けさせたのでしょうか。聖書にはこう書かれています。ヘブライ人への手紙9章22b節「血を流すことなしには罪の赦しはありえないのです。」とあります。罪を赦すためには、血を流して死んで下さるしかなかったからでした。そうして、イエスキリストを通して、コロサイの信徒への手紙2章「13 神は、わたしたちの一切の罪を赦し、 14 規則によってわたしたちを訴えて不利に陥れていた証書を破棄し、これを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。」私たちに対するあらゆる責めを、キリストの十字架に釘付けにして、無効として下さったのです。こうして、神の子イエスキリストは悪魔の働きを滅ぼされました。これが、救いの角の勝利の力です。
でも、本当に罪が解決されて勝利したと、どうしてわかるのでしょうか。当然の疑問だと思います。大抵の宗教では、良い行いを沢山することが、罪の解決とされます。でも、罪は残るのですから、罪の解決にはなっていません。しかし、聖書には答えがあります。それがイエス様の復活です。イエス様は聖書に預言された通りに、処女マリアに宿って、ダビデの子孫として来られ、預言のとおりに御業を行い、預言のとおりに十字架で血を流して死なれ、罪を解決しましたが、それで終わりではなく、死んで三日目に聖書の預言のとおりに復活なされました。罪ある人間は、復活できません。イエス様の復活はイエス様がメシアであること、罪の問題を完全に解決したことを証します。
6.預言者たちに語られたとおりに
ザカリアの預言にもどりましょう。70~72節です。「70昔から聖なる預言者たちの口を通して語られたとおりに。~72主は我らの先祖を憐れみ、その聖なる契約を覚えていてくださる。」旧約聖書とすべての預言書は救いの角、救い主イエス・キリストが来ることを約束し、預言しています。ザカリアも旧約聖書に通じていたことでしょう。メシアの預言が成就しつつあるのを知って、「ほめたたえよ、ほめたたえよ」と歌ったに違いありません。
73から75節です。「73これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。こうして我らは、74敵の手から救われ、恐れなく主に仕える、75生涯、主の御前に清く正しく。」アブラハムに立てられた神様の誓いは創世記22章17、18節にあります。「17あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。18地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」」神様はアブラハムの子孫として、また後にはダビデの家から救いの角、救い主を与えてくださることを、古くから示しておられました。
そして、時が満ちて、その救い主がこの暗闇の世に来られ、十字架と復活の御業をとおして、悪魔の仕業を無力化して下さいました。悪魔の城門は既に勝ち取られ、祝福を与え、生涯にわたり、恐れなく主の御前を歩む、神様の子供として下さいました。
わたしたちを罪と悪魔の力から救い、神様の子供にしてくださったイエス様に感謝しましょう。今日は救い主の聖誕を祝う喜ばしい日です。ここにまだ、敵サタンの攻撃を受けて苦しむ人、まだイエス様を自分の罪のための救い主として受け入れていない方、信じない方がいらっしゃるならば、今日、イエス様を自分の救いの角、救い主として呼び求めますようにお勧めします。
また、既にイエス様を救い主として受け入れた方は、イエス様の救いの角の力である十字架の死と復活を御自分のこれからの人生の力として信仰生活に励んでいけますように祈ります。イエス様が命をもって私たちを愛したように、私たちも家族や隣人を愛し、忍耐し、赦しますように祈ります。また復活の希望を持って、永遠の命を味わいながら、愛し、忍耐し、赦し、損する、一粒の麦となれますように祈ります。祈ります。
合計 47
| 手順 | タイトル | 投稿者 | 投稿日 | 推薦 | 閲覧数 |
| 47 |
New 主人に役立つ器
toshibetsu
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2026.03.08
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聞いて行う者
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主の助け
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恐れるべき方
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主に望みをおく人は
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2026.02.08
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2026.02.01
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toshibetsu | 2026.02.01 | 2 | 54 |
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主を畏れる人は
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2026.01.25
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toshibetsu | 2026.01.25 | 2 | 66 |
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風も波も従う
toshibetsu
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2026.01.18
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toshibetsu | 2026.01.18 | 2 | 76 |
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主を知っているか
toshibetsu
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2026.01.11
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toshibetsu | 2026.01.11 | 4 | 73 |
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御言葉の力
toshibetsu
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2026.01.07
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toshibetsu | 2026.01.07 | 1 | 83 |
