メッセージ
あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯。(詩編119篇105節)
あけぼのの光
投稿者
toshibetsu
投稿日
2025-12-28 14:27
閲覧数
85
251224利別教会クリスマスイブメッセージ
御言葉:ルカによる福音書1章76~79節
題:あけぼのの光
クリスマス、おめでとうございます。今週の主日のクリスマス礼拝では救いの角という題でイエス様の誕生を喜び祝いました。今日はあけぼのの光という題で、洗礼者ヨハネに向けて語られた預言の部分を読みたいと思います。
1. いと高き方の預言者ヨハネ
洗礼者ヨハネの生い立ちですが、高齢の母エリザベトが息子ヨハネを胎内に身籠る前に、高齢の父である祭司ザカリアに、天使ガブリエルがヨハネの生涯と使命について、このように告げました。ルカによる福音書1章15節から17節です。「15彼は主の御前に偉大な人になり、ぶどう酒や強い酒を飲まず、既に母の胎にいるときから聖霊に満たされていて、16イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。17彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する。」
そして、いよいよこの世に姿を現して八日目の、ザカリアの預言が今日の本文です。76~77節を一緒に読みます。「76幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え、77主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである。」祭司ザカリアは年老いて一人の息子を得ました。その幼子はザカリアの人生にとって、どれほど特別な存在であったことでしょう。ザカリアは、「幼子よ」と語りかけます。「幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。」と語ります。ザカリアは、自分の息子が「いと高き方の預言者」として神様に仕えるであろうことを、この上なく喜びました。私たちも子供たちや幼子たちが、いと高き方、神様に仕えることを祈り、時が来てそうなって、この上なく喜ぶ日が訪れますように、祝福します。
2. 罪の赦しによる救い
76b~77節です。「76b主に先立って行き、その道を整え、主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである。」預言者ヨハネは、主イエス様の公生涯に先立って、公の働きを始めました。そうしてイエス様のお働きの備えをしました。具体的には、ヨハネは、主の民、イスラエルに与えられる、「罪の赦しによる救い」を告げ知らせました。
でも、イスラエルには、旧約聖書の時代から、罪の赦しによる救いの方法が与えられていたのに、と思われるかも知れません。実際、イスラエルの民が形成される過程で、神様は罪の赦しによる救いの方法を与えておられました。それは旧約聖書にきちんと記載されています。神様の命令や律法を破って罪を犯した人は、自分が罪を犯したことを悟った時、傷がない雄の羊や山羊、牛を連れて神殿に上り、その動物の頭に手を置いて自分の罪を告白することによって、その動物に自分の罪を転嫁して、罪を担わせて、自分の代りにその動物に血を流させて死なせる方法でした。神様が定められた、公式の責任転嫁の方法でした。遊牧の民にとって羊、山羊、牛は家族のようなものでしたので、罪の代価の重さを実感したことでしょう。苦しみながら血を流す家族のような家畜の姿に、もうその罪を犯したくないという思いで満たされたことでしょう。その罪を忌み嫌うようになったことでしょう。
これほどにも大きな犠牲を払ったのですが、それでも、この方法には限界がありました。完全ではありませんでした。もし、動物を死なせて家に帰る道でまた罪を犯したことを思い出したならば、また動物を連れて神殿に行って動物を殺さなければいけませんでした。あるアメリカの大学の研究によると、人は一日に5万回くらいの選択をすると言いますが、その中で、ほんの0.01%が罪であったとしても、一日に5匹の羊や山羊、または牛を殺さなければなりません。しかし、ヨハネにより告げ知らされる「罪の赦しによる救い」は、完全なものでした。
3. 神様の憐れみによるあけぼのの光
この、罪の赦しによる完全な救いは、神様の憐れみのゆえに与えられるものです。78a節です。「78aこれは我らの神の憐れみの心による。」ですから、神様が憐れんで、一方的に準備して下さる、恵みです。そして、与えられる救いは、どのようなものなのでしょうか。78b節です。「この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ」とあります。この救いは、この地上ではなく、この世のものでもなく、高い所から、神様から、あけぼのの光としてこの世を訪れて下さいます。
あけぼのの光ですが、日の出を御覧になったことがあると思います。テレビで見るだけでも凄いですが、その勢いがすごいです。あけぼのの光は、どんどん明るくなり、どんどん上に上がって来ます。あけぼのの太陽を見ると、そのスピードと力強さに驚きます。
4. 暗闇と死の陰に座している者たちを照らし
その光は誰に向けて照らされるのでしょうか。79節です。「79暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。」神様からのあけぼのの光は、暗闇と死の陰に座している者たちを照らします。
「暗闇と死の陰に座している者たちを照らす」とは、イザヤ書8章23節~9章1節からの引用です。「23先にゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが 後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた 異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。1闇の中を歩む民は、大いなる光を見 死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。」という、預言者イザヤの預言です。この預言された地域は北イスラエルの地で偶像崇拝の罪によって堕落したことでアッシリア帝国によって滅ぼされた所でした。また、アッシリア帝国の政策で異民族が強制移住させられたために、神様の民との混血が進みました。それで、その地域のイスラエルの人達は同族にも見捨てられ、神様にも見捨てられたと言われていました。この地域出身は何も善いことがない、「あなたはダメ」というラベルが付けられて生まれたようなものでした。でもイザヤ書の預言は、そこで終わっていません。「異邦人のガリラヤは、栄光を受ける 闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝く」はずであったからです。
5. 平和の道に導く
神様はこのように、暗闇と死の陰に座している者にも、あけぼのの光を照らして、私達を平和の道に導いて下さいます。79b節です。「79b我らの歩みを平和の道に導く。」神様は、光を照らして、私たちの人生を平和の道に導いてくださいます。
この平和はこの世の平和というよりは、神様との和解と平和を意味します。神様に背いて、壊れてしまったその関係を、神様の御前で、完全な「罪の赦しの救い」によって、完全に回復させて下さる和解による平和です。そして、神様との平和の回復は、そのまま、不思議と、人々との平和の道へと導かれます。
それだけではありません。完全な「罪の赦しの救い」によって、心身を癒し、活力を与えて下さいます。マラキ書3章20節の約束です。「しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには義の太陽が昇る。その翼にはいやす力がある。あなたたちは牛舎の子牛のように躍り出て跳び回る。」創造主である神様との平和には、被造物である私達の心身をいやす力があるからです。
6. まことの光、イエスキリスト
洗礼者ヨハネの父ザカリアが聖霊に満たされて預言したのは、この偉大な力のあるまことの「光」がまさに今、輝き始めるということでした。イエスキリストの聖誕によって、この預言は実現しました。使徒ヨハネが、イエスキリストの聖誕について、このように書き伝えています。ヨハネによる福音書1章4節、14節です。「4言(イエスキリスト)の内に命があった。命は人間を照らす光であった。」「14言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」
クリスマスです。あちらこちらにピカピカの明かりがあります。人は自分に命や希望を与える光を探します。死や暗闇の恐れを乗り越えるための何かを捜します。聖書は、この世ではなく、高い所から、天の御国から私たちを訪れてくださる「あけぼのの光」があり、それは主イエス・キリストであると教えます。イエスキリストは、完全な「罪の赦しによる救い」を与えることのできる方です。イエスキリストは信じる者に病の癒しを与えてくださる癒しの光です。またイエスキリストはどうすれば良いかわからなくて暗闇の中に座している人を導く道であり希望である光です。イエス様は言われました。ヨハネの福音書8章12節です。「イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」」
天の御国からこの世に送られたあけぼのの光、命の光、イエス様は、今も私たちを訪れます。一人一人に個別に、個人的に、その時、その状況で訪ねて下さいます。誰にも理解してもらえないと思いますか?主はご存知です。自分は正しく生きて来られなかったからダメだと思いますか?私たちは創造主である神様にありのままに知られています。その上で、私達を慈しんで訪ねて下さいます。神様は、どんな状況にある人にでも、救い主イエスキリストを信じる信仰によって、罪の赦しによる完全な救いを与え、創造主との完全な平和を与えようとしておられます。
イエス様は、一人ひとりを、人格的に訪れてくださいます。あけぼのの光であるイエス様が今、心の戸口に立って心の扉を叩いておられます。今、そのイエス様を自分の罪のために来られた救い主であると認め、受け入れますようにお勧めします。聖書はこう語ります。ヨハネの黙示録3章20節「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」
祈りましょう。
御言葉:ルカによる福音書1章76~79節
題:あけぼのの光
クリスマス、おめでとうございます。今週の主日のクリスマス礼拝では救いの角という題でイエス様の誕生を喜び祝いました。今日はあけぼのの光という題で、洗礼者ヨハネに向けて語られた預言の部分を読みたいと思います。
1. いと高き方の預言者ヨハネ
洗礼者ヨハネの生い立ちですが、高齢の母エリザベトが息子ヨハネを胎内に身籠る前に、高齢の父である祭司ザカリアに、天使ガブリエルがヨハネの生涯と使命について、このように告げました。ルカによる福音書1章15節から17節です。「15彼は主の御前に偉大な人になり、ぶどう酒や強い酒を飲まず、既に母の胎にいるときから聖霊に満たされていて、16イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。17彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する。」
そして、いよいよこの世に姿を現して八日目の、ザカリアの預言が今日の本文です。76~77節を一緒に読みます。「76幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え、77主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである。」祭司ザカリアは年老いて一人の息子を得ました。その幼子はザカリアの人生にとって、どれほど特別な存在であったことでしょう。ザカリアは、「幼子よ」と語りかけます。「幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。」と語ります。ザカリアは、自分の息子が「いと高き方の預言者」として神様に仕えるであろうことを、この上なく喜びました。私たちも子供たちや幼子たちが、いと高き方、神様に仕えることを祈り、時が来てそうなって、この上なく喜ぶ日が訪れますように、祝福します。
2. 罪の赦しによる救い
76b~77節です。「76b主に先立って行き、その道を整え、主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである。」預言者ヨハネは、主イエス様の公生涯に先立って、公の働きを始めました。そうしてイエス様のお働きの備えをしました。具体的には、ヨハネは、主の民、イスラエルに与えられる、「罪の赦しによる救い」を告げ知らせました。
でも、イスラエルには、旧約聖書の時代から、罪の赦しによる救いの方法が与えられていたのに、と思われるかも知れません。実際、イスラエルの民が形成される過程で、神様は罪の赦しによる救いの方法を与えておられました。それは旧約聖書にきちんと記載されています。神様の命令や律法を破って罪を犯した人は、自分が罪を犯したことを悟った時、傷がない雄の羊や山羊、牛を連れて神殿に上り、その動物の頭に手を置いて自分の罪を告白することによって、その動物に自分の罪を転嫁して、罪を担わせて、自分の代りにその動物に血を流させて死なせる方法でした。神様が定められた、公式の責任転嫁の方法でした。遊牧の民にとって羊、山羊、牛は家族のようなものでしたので、罪の代価の重さを実感したことでしょう。苦しみながら血を流す家族のような家畜の姿に、もうその罪を犯したくないという思いで満たされたことでしょう。その罪を忌み嫌うようになったことでしょう。
これほどにも大きな犠牲を払ったのですが、それでも、この方法には限界がありました。完全ではありませんでした。もし、動物を死なせて家に帰る道でまた罪を犯したことを思い出したならば、また動物を連れて神殿に行って動物を殺さなければいけませんでした。あるアメリカの大学の研究によると、人は一日に5万回くらいの選択をすると言いますが、その中で、ほんの0.01%が罪であったとしても、一日に5匹の羊や山羊、または牛を殺さなければなりません。しかし、ヨハネにより告げ知らされる「罪の赦しによる救い」は、完全なものでした。
3. 神様の憐れみによるあけぼのの光
この、罪の赦しによる完全な救いは、神様の憐れみのゆえに与えられるものです。78a節です。「78aこれは我らの神の憐れみの心による。」ですから、神様が憐れんで、一方的に準備して下さる、恵みです。そして、与えられる救いは、どのようなものなのでしょうか。78b節です。「この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ」とあります。この救いは、この地上ではなく、この世のものでもなく、高い所から、神様から、あけぼのの光としてこの世を訪れて下さいます。
あけぼのの光ですが、日の出を御覧になったことがあると思います。テレビで見るだけでも凄いですが、その勢いがすごいです。あけぼのの光は、どんどん明るくなり、どんどん上に上がって来ます。あけぼのの太陽を見ると、そのスピードと力強さに驚きます。
4. 暗闇と死の陰に座している者たちを照らし
その光は誰に向けて照らされるのでしょうか。79節です。「79暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。」神様からのあけぼのの光は、暗闇と死の陰に座している者たちを照らします。
「暗闇と死の陰に座している者たちを照らす」とは、イザヤ書8章23節~9章1節からの引用です。「23先にゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが 後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた 異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。1闇の中を歩む民は、大いなる光を見 死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。」という、預言者イザヤの預言です。この預言された地域は北イスラエルの地で偶像崇拝の罪によって堕落したことでアッシリア帝国によって滅ぼされた所でした。また、アッシリア帝国の政策で異民族が強制移住させられたために、神様の民との混血が進みました。それで、その地域のイスラエルの人達は同族にも見捨てられ、神様にも見捨てられたと言われていました。この地域出身は何も善いことがない、「あなたはダメ」というラベルが付けられて生まれたようなものでした。でもイザヤ書の預言は、そこで終わっていません。「異邦人のガリラヤは、栄光を受ける 闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝く」はずであったからです。
5. 平和の道に導く
神様はこのように、暗闇と死の陰に座している者にも、あけぼのの光を照らして、私達を平和の道に導いて下さいます。79b節です。「79b我らの歩みを平和の道に導く。」神様は、光を照らして、私たちの人生を平和の道に導いてくださいます。
この平和はこの世の平和というよりは、神様との和解と平和を意味します。神様に背いて、壊れてしまったその関係を、神様の御前で、完全な「罪の赦しの救い」によって、完全に回復させて下さる和解による平和です。そして、神様との平和の回復は、そのまま、不思議と、人々との平和の道へと導かれます。
それだけではありません。完全な「罪の赦しの救い」によって、心身を癒し、活力を与えて下さいます。マラキ書3章20節の約束です。「しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには義の太陽が昇る。その翼にはいやす力がある。あなたたちは牛舎の子牛のように躍り出て跳び回る。」創造主である神様との平和には、被造物である私達の心身をいやす力があるからです。
6. まことの光、イエスキリスト
洗礼者ヨハネの父ザカリアが聖霊に満たされて預言したのは、この偉大な力のあるまことの「光」がまさに今、輝き始めるということでした。イエスキリストの聖誕によって、この預言は実現しました。使徒ヨハネが、イエスキリストの聖誕について、このように書き伝えています。ヨハネによる福音書1章4節、14節です。「4言(イエスキリスト)の内に命があった。命は人間を照らす光であった。」「14言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」
クリスマスです。あちらこちらにピカピカの明かりがあります。人は自分に命や希望を与える光を探します。死や暗闇の恐れを乗り越えるための何かを捜します。聖書は、この世ではなく、高い所から、天の御国から私たちを訪れてくださる「あけぼのの光」があり、それは主イエス・キリストであると教えます。イエスキリストは、完全な「罪の赦しによる救い」を与えることのできる方です。イエスキリストは信じる者に病の癒しを与えてくださる癒しの光です。またイエスキリストはどうすれば良いかわからなくて暗闇の中に座している人を導く道であり希望である光です。イエス様は言われました。ヨハネの福音書8章12節です。「イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」」
天の御国からこの世に送られたあけぼのの光、命の光、イエス様は、今も私たちを訪れます。一人一人に個別に、個人的に、その時、その状況で訪ねて下さいます。誰にも理解してもらえないと思いますか?主はご存知です。自分は正しく生きて来られなかったからダメだと思いますか?私たちは創造主である神様にありのままに知られています。その上で、私達を慈しんで訪ねて下さいます。神様は、どんな状況にある人にでも、救い主イエスキリストを信じる信仰によって、罪の赦しによる完全な救いを与え、創造主との完全な平和を与えようとしておられます。
イエス様は、一人ひとりを、人格的に訪れてくださいます。あけぼのの光であるイエス様が今、心の戸口に立って心の扉を叩いておられます。今、そのイエス様を自分の罪のために来られた救い主であると認め、受け入れますようにお勧めします。聖書はこう語ります。ヨハネの黙示録3章20節「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」
祈りましょう。
合計 47
| 手順 | タイトル | 投稿者 | 投稿日 | 推薦 | 閲覧数 |
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New 主人に役立つ器
toshibetsu
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聞いて行う者
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主に望みをおく人は
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2026.02.01
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主を畏れる人は
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風も波も従う
toshibetsu
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2026.01.18
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toshibetsu | 2026.01.18 | 2 | 76 |
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主を知っているか
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2026.01.11
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toshibetsu | 2026.01.11 | 4 | 73 |
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御言葉の力
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2026.01.07
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toshibetsu | 2026.01.07 | 1 | 83 |
