メッセージ

あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯。(詩編119篇105節)

御言葉の力

投稿者
toshibetsu
投稿日
2026-01-07 07:43
閲覧数
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260104利別教会メッセージ
御言葉:イザヤ書55章6節から11節
題:御言葉の力
明けまして、おめでとうございます。新年感謝礼拝をささげることができて感謝します。先週は送年感謝礼拝として、どんなときにも感謝し、25年を感謝と讃美をもって締めくくりました。今日は御言葉の力という題で今年の一年、私たちが一番頼りにするべきものが何か考えたいと思います。
1. 主を尋ね求めよ
イザヤ書55章は今日のメッセージの題にもなっているように、御言葉の力と言うタイトルがあります。1節には「1渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。銀を持たない者も来るがよい。~来て、~値を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ。」という呼びかけがあります。同じような御言葉をイエス様も語られました。ヨハネによる福音書7章37、38節です。「37祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。38わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」」このイエス様の御言葉を見るとイエス様のところに来て、値を払うことなく、ただでいただけるものというのは、御言葉であることが分かります。そして、その御言葉を飲んで、食べる者、即ち、受け入れて信じる者は、その人の内から生きた水が川となって流れ出ると約束します。その人から流れでる生きた水、それは、御言葉を信じて、その通りに従って生きる人に与えられる聖霊を意味します。クリスチャンは誰でも、聖霊に満たされたいと願いますが、その秘訣は御言葉の力によります。
6節です。「主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。呼び求めよ、近くにいますうちに。」1節から5節にも記されているように、主を尋ね求めよという言葉は主の御言葉を尋ね求めよ、主の御言葉を呼び求めよという意味です。なぜ、主の御言葉を尋ね求め、主の御言葉を伝える人を尋ね求め、呼び求める必要があるのでしょう。それは、いつか、主の御言葉を見出し得ない時が来るからです。近くからいなくなる時が来るからです。
私たちは後に、後でという言葉が口癖になっています。あの人に罪の赦しによる救いについて、いつかお話をしなければならないなという思いが来ても、実際に実践するとしたら、なかなか、難しいです。明日やろうか。いつかやろう。今はそのときではないかもしれないと言います。それで、ある日、その人が緊急入院されて、面会ができなくなったという知らせを聞いて、落胆します。
それは、伝える人だけの問題ではありません。あの人はいつも日曜日に教会に行くね。一度、私も連れて行ってと言おうと思いますが、今日は忙しいからやめようと諦めます。聖書という書物には罪の赦しによる救いが記されているらしいから、一度聞いて見ようという思いがしますが、なかなか口が開きません。恥ずかしいことはしない方がいいと、後で聞こうというサタンの声を自分の思いとして受け入れてしまいます。それで、見いだしうる時を見逃し、近くにいる時は通り過ぎてしまいます。なんと不幸な人生でしょう。
2.主に立ち帰るならば、憐れんでくださる
7節です。「神に逆らう者はその道を離れ 悪を行う者はそのたくらみを捨てよ。主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。わたしたちの神に立ち帰るならば、豊かに赦してくださる。」しかし、クリスチャンの同僚に誘われた時、お父さん、お母さんに誘われた時、友達に誘われた時に、その時を見逃さなかった人はどうなるでしょうか。また、クリスチャンに、罪の赦しによる救いを説明してくれないか、教会に連れて行ってくれないかと頼んで、その時を逃さなかった人はどうなるのでしょうか。御言葉に出会うことができます。それで、自分の考えではなく、聖書の御言葉を聞くと、自分が神様に背を向けてきたことを悟ります。皆が普通に神様に背を向けているので、そのことが罪や悪であると思ったことは無かったはずですが、それが悪を行うことであったことも悟ります。
そのように悟った時、自ら教えられた時、やっぱり、わたしには御言葉の基準が合わないし、そんな風に生きるのは無理だなと思って、それ以上呼び求めない人もいます。でも、そこでそういう神様に背を向ける思いや考え、つまりそれまで生きてきた道を離れて、神様に背を向ける思いを捨てて、主に立ち帰るならば、主なる神様は憐れんでくださいます。御言葉を聞いて、わたしたちの神に立ち帰るならば、豊かに赦してくださいます。
3.私たちの思いと異なる神様の思い
8節です。「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり わたしの道はあなたたちの道と異なると主は言われる。」この御言葉のわたしの思い、わたしの道は神様の御言葉を意味します。ここには、長年、御言葉を聞き、御言葉を読んできた方々もいらっしゃいます。それで、自分の考えと神様の御言葉が異なるなと思った方々も多くいらっしゃるでしょう。
神様の思いと異なる事、それは、まず、罪の赦しについてではないでしょうか。こんなひどい罪を犯した私は絶対に赦されないと自分は思い込みます。また、もう一つ、それは、反復的に犯す罪についてではないでしょうか。自分は私のような者は赦されるはずがないし、また同じ誘惑に負けて同じ罪を犯したのだから、と言って、赦されないと思いがちです。しかし、聖書を読むとはっきりと書かれていますが、神様は私たちの思いをはるかに超えて、豊かに赦してくださいます。
4.私の思いを高く超えている神様の思い
9節です。「天が地を高く超えているように わたしの道は、あなたたちの道を わたしの思いはあなたたちの思いを、高く超えている。」イエス様の弟子であるペトロはイエス様の弟子として立派な生き方をし、普通は3度赦してあげるのがユダヤの風習であったのに、誰かがわたしに罪を犯したならば、七回赦してあげればいいでしょうかとイエス様に聞きます。その時、イエス様は言われました。マタイによる福音書18章22節「イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」やっぱり私たちの思いとイエス様の御言葉は異なります。
そして、私たちの道とイエス様の道が異なった事件が、聖書に記録されています。それは、イエス様の十字架の死と復活の出来事です。もちろん、聖書には死と復活が預言されていましたし、イエス様も何度も、ご自分が死んで三日目に復活すると、弟子たちに言われましたが、当時、当時だけではなく、今の人々も、人間が考える救いの道は、神様の道と異なります。人々は善い行いを溢れるほどにしなければ、罪は決して償われないと思います。善を積み重ねることが、救いの道であると考えます。
しかし、聖書は善を行う人が一人もいないと宣言します。そして、罪を償うために十字架で血を流して死んで、また三日目に復活されたイエス様を信じる信仰によって救いが得られると教えます。ローマの信徒への手紙3章12節の後半です。「~善を行う者はいない。ただ一人もいない。」続いて23、24節です。「23人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、24ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。」
5.必ず使命を果たす主の御言葉
では、私たちの考えや思いをはるかに超える神様の御言葉はどのように働くのでしょう。10節、11節です。「10雨も雪も、ひとたび天から降れば むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ 種蒔く人には種を与え 食べる人には糧を与える。11そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ わたしが与えた使命を必ず果たす。」私たちが神様の御言葉、神様の子、すなわち神様であられるイエス様の御言葉によって生きるのは、ただ私たちの思いや道より高いから、だけではありません。神様の御言葉に従って生きるのは、神様の御言葉が必ず神様の御心を成し遂げ、その使命を完全に果たすからです。雨と雪が降りますが、その役割を果たして種と糧を与えてくれます。そのように、神様の口から出る神様の御言葉も無駄にならないし、むなしく神様のもとに戻ることはありません。だから、神様の御言葉は、信頼に値します。その御言葉によって生きる価値があります。
けれども、多くの人は自分の考えや自分の思い、自分の選んだ道が正しいと思って生きるのではないでしょうか。それが世の中の常識であり、世の中の学校教育で普通に教えられていることです。しかし、世の中の常識とは異なり、聖書の御言葉は自分の考えに依り頼むなと教えています。箴言3章5節から8節です。「心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず6常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば、主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。7自分自身を知恵ある者と見るな。主を畏れ、悪を避けよ。8そうすれば、あなたの筋肉は柔軟になり あなたの骨は潤されるであろう。」ですから、2025年は自分の思いに従い自分の選んだ道を生きた方も、今年は主の御言葉によって生きますように祝福します。主の御言葉は、歩むべき道を示して下さいます。詩編119篇105節です。「あなたの御言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯。」先の事を知ることは人間には許されていませんが、御言葉は一歩一歩を確かに指し示すことができます。
6.招きと決心の時間
それでは招きと決心の時間を持ちたいと思います。新しい一年が与えられました。新しい一年のためにいろいろ準備したり、計画を立てたりすると思います。しかし、今日の御言葉を聞き、何よりも神様の御言葉が大事であると、告白せざるを得ません。救い主が生まれるお知らせを聞いたマリアはその後、一年間、そして一生涯にわたり、祝福とともに大変な苦難と試練に遭いますが、マリアがそのすべての試練を乗り越えたのは、自分の考えや、思いではなく、天使を通して伝えられた主の御言葉の力によりました。ルカによる福音書1章35、37節です。「35天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。~37神にできないことは何一つない。」」今年一年を主の御言葉によって進められますように祝福します。
 それでは、今日、礼拝をした方の中にまだ、イエス様を自分の救い主として受け入れていない方がいらっしゃるでしょうか。イエス様を受け入れて、信じますように祝福します。聖書、ヨハネによる福音書5章24節はこう約束します。「はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。」
また、イエス様を自分の救い主として受け入れている方は、今年も御言葉の力を信頼して、御言葉によって一歩一歩を歩みますように祝福します。
祈ります。「天の父なる神様。わたしは罪びとです。どこから来て、どうして生まれ、何のために生きて、最後はどこに行くのか知ることもなく、さまよい、ただひたすら生きてきました。私の罪のために、十字架にかかり、罪をきよめる血を流して死なれ、よみがえられたイエス様を、私の救い主としてお迎えします。私はきよめられ、神様の子供になりました。感謝します。今から、いつまでも、主と共におります。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。
皆さんを祝福します。「皆さんの魂が恵まれているように、皆さんがすべての面で恵まれ、健康であるように祝福します。」
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