メッセージ

あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯。(詩編119篇105節)

霊に満たされた人

投稿者
toshibetsu
投稿日
2026-02-01 17:45
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260201利別教会メッセージ
御言葉:民数記27章15節から23節
題:霊に満たされた人
先週は「主を畏れる人は」という題で主を畏れ、礼拝する人、主を畏れ、主の道を歩む人として、ダビデの生き方に触れました。今日は「霊に満たされた人」という題で、神様が目を留めた、霊に満たされた人、ヨシュアについて読みたいと思います。
1. モーセの後継者
本文は、神様の僕として、イスラエルの民をエジプトから導き出し、その後、荒れ野で40年間導いた、イスラエルの指導者モーセの、後継者を立てる出来事です。
モーセは出エジプトと40年間の荒れ野生活で神様に仕え、イスラエルの人々のために労しましたが、約束の地、カナンに入ることはできませんでした。モーセ自身がカナンの地に入ることができなかった理由については、14節に書かれています。「14ツィンの荒れ野で共同体が争った時、あなたたちはわたしの命令に背き、あの水によって彼らの前にわたしの聖なることを示そうとしなかったからだ。」このことはツィンの荒れ野にあるカデシュのメリバの水のことを指している。」水がなく、渇いていたイスラエルの民がモーセとアロンに不平不満をぶちまけた時、神様はモーセに民数記20章8節「8 あなたは杖を取り、~共同体を集め、彼らの目の前で岩に向かって、水を出せと命じなさい。~」と言われましたが、民数記20章11節「11モーセが手を上げ、その杖で岩を二度打ち」ました。それも、怒りを込めて岩を打ちました。神様は渇いている民と家畜に怒りより愛と憐れみを示したがったのですが、モーセは怒りをもって、岩を打ってしまいました。それで、モーセはカナンに入ることができませんでした。
皆さんがモーセのような境遇に置かれたならば、どうでしょうか。神様、40年もがんばって来ました、一度の過ちで、カナンに入れないなんて、ひどいです、と思うかも知れません。しかし、モーセは素晴らしい指導者で、謙遜でした。悲しみや怒りではなく、イスラエルの民を心配しました。良い羊飼いでした。15節から17節です。「15モーセは主に言った。16「主よ、すべての肉なるものに霊を与えられる神よ、どうかこの共同体を指揮する人を任命し、17彼らを率いて出陣し、彼らを率いて凱旋し、進ませ、また連れ戻す者とし、主の共同体を飼う者のいない羊の群れのようにしないでください。」」モーセは「どうかこの共同体を指揮する人を任命し、~主の共同体が飼う者のいない羊の群れのようにしないでください。」と神様に願いました。
2.霊に満たされた人
そうして立てられたのが、ヨシュアでした。18節前半です。「18主はモーセに言われた。「霊に満たされた人、ヌンの子ヨシュアを選んで、」大牧者である神様は、モーセの祈りに答える準備を、前もってしておられました。わたしは「霊に満たされた人、ヌンの子ヨシュアを選」んだ。神様はモーセの子供たちの中から、後継者を選びませんでした。モーセ自身も、後継者の選抜を神様に委ねていました。当時は父親が祭司であれば、子供も祭司になった時代です。しかし、指導者はそうはなりませんでした。なぜでしょうか。理由はただ一つ、ヨシュアが「霊に満たされた人」であったからでした。
神様は、モーセからヨシュアに替わる時の手続きを教えられました。18節後半から20節です。「18b手を彼の上に置き、19祭司エルアザルと共同体全体の前に立たせて、彼らの見ている前で職に任じなさい。20あなたの権威を彼に分け与え、イスラエルの人々の共同体全体を彼に従わせなさい。」まず、モーセの手をヨシュアの上に置いて、祭司と共同体全体の前にヨシュアを立たせ、見ている前で職に任じるようにされました。ヨシュアに与えられた権威が神様によるものであることを示されました。そのようにして、モーセの権威をヨシュアに分け与えて、共同体全体をヨシュアに従わせるように命じられました。
また、神様に立てられた僕ヨシュアが、重要な決定について神様に御心を尋ね求めるよう指示されました。21節です。「21彼は祭司エルアザルの前に立ち、エルアザルは彼のために、主の御前でウリムによる判断を求めねばならない。ヨシュアとイスラエルのすべての人々、つまり共同体全体は、エルアザルの命令に従って出陣し、また引き揚げねばならない。」」ウリムというのは、ウリムとトンミムのことです。アロンの家系の聖別された祭司が、神様の御心を伺う時にウリムとトンミムを用いました。当時カナンの地に入るということは、必ず戦いがあるということでしたが、ヨシュアに対し、「祭司の前に立ち、主の御前でウリムによる判断を求めねばならない」と命じられました。つまり、共同体の運命をかけた戦いの判断を、状況を見て自分で判断するのではなく、祭司エリアザルの前に立ち、神様の導きを求め、祭司エリアザルを通して与えられた神様の命令に従って出陣し、また引き揚げるように命じられました。実際にヨシュアはその通りに行い、全ての戦いを勝利に導きました。共同体の運命に関わる全ての判断を、神様に求め、その命令に従ったからでした。
3.幕屋から離れなかった
ここで、モーセの後継者として選ばれたヨシュアについて、神様が仰った「霊に満たされた人」について、御言葉を思い巡らせましょう。ヨシュアは生まれつきの霊に満たされた人でしょうか。違います。ではどのようにして、霊に満たされた人になったのでしょう。その秘密を通して、私たちも霊に満たされて、神様に仕える人になると信じます。思い当たる御言葉があります。出エジプト記33章11節です。「主は人がその友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られた。モーセは宿営に戻ったが、彼の従者である若者、ヌンの子ヨシュアは幕屋から離れなかった。」モーセはイスラエルの宿営の外の、宿営から遠く離れた所に天幕を張り、そこで神様のご臨在に触れました。その天幕は「臨在の幕屋」と呼ばれました。モーセがそこに入って行くときは、イスラエルの民は全員起立して見送りました。また出る時もお迎えしたに違いありません。しかし、モーセが神様から何かの教えや、戒めや、御言葉をいただいて、幕屋から出て、宿営に戻っても、一人、幕屋を離れずにとどまっていた人がいました。ヨシュアでした。幕屋の管理者だったからでしょうと言って無視することもできますが、皆さんはどう考えますか。主なる神様がおられる「臨在の幕屋」を離れなかったというのは、単純に天幕にとどまったということではなく、主なる神様といつまでも離れなかったことを意味するはずです。神様のご臨在の内にとどまり、神様との交わりにとどまり、神様を拝する時を持ち続けたはずです。ヨシュアは、神様を慕い求める人であり、礼拝の人であり、祈りの人であり、神様のみ旨を求める人であり、神様のみ旨に従おうとする人であったことがうかがえます。神様につながり続けることを大切にしていた人でした。
 イエス様は、神様につながり続けることを、ぶどうの木と枝の喩えで説明されました。ヨハネによる福音書15章5節です。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」神様の家、臨在の幕屋にとどまり、神様を慕い求めたヨシュアは、そうでなかったならば決して知ることのできないことを、体験的に知りました。神様を知ったのです。その結果、彼の言動は、人生は、どうなったでしょう。
4.共におられる主を信頼する
ヨシュアは自分の部族エフライム部族の代表として12人の偵察隊に選ばれて、カナンを偵察したことがありました。民数記13章から記されています。偵察から戻ってきた時、10人は、民13章38「38そこで我々が見たのは、ネフィリムなのだ。アナク人はネフィリムの出なのだ。我々は、自分がいなごのように小さく見えたし、彼らの目にもそう見えたにちがいない。」と報告して、イスラエルの民の心を挫けさせました。彼らは自分がいなごだ、といういなご信仰を持ちました。しかし、その時、ヨシュアはカレブと一緒にこのように叫びます。民数記14章7節から9節です。「7イスラエルの人々の共同体全体に訴えた。「我々が偵察して来た土地は、とてもすばらしい土地だった。8もし、我々が主の御心に適うなら、主は我々をあの土地に導き入れ、あの乳と蜜の流れる土地を与えてくださるであろう。9ただ、主に背いてはならない。あなたたちは、そこの住民を恐れてはならない。彼らは我々の餌食にすぎない。彼らを守るものは離れ去り、主が我々と共におられる。彼らを恐れてはならない。」幕屋を離れなかったヨシュアは神様が共におられることを本当に信頼しています。共同体全体の命がかかっている状態ですが、カナンの住民を恐れませんでした。それで、神様とイスラエルの民の前で、否定的な話はしませんでした。信仰によって、「彼らは我々の餌食にすぎません」と言いました。このような信仰と力は、幕屋を離れなかったヨシュアの、神様への愛と神様との交わりから与えられたものでしょう。このようなヨシュアに、神様は目を留めておられました。私と皆さんが、幕屋を離れなかったヨシュアのように、神様のご臨在を慕い求めて、礼拝、祈り、聖書の御言葉に留まり、神様の臨在から離れないように祝福します。
5.神様の命令と約束
本文に戻ります。22、23節です。「22モーセは、主が命じられたとおりに、ヨシュアを選んで祭司のエルアザルと共同体全体の前に立たせ、23手を彼の上に置いて、主がモーセを通して命じられたとおりに、彼を職に任じた。」モーセは主なる神様が命じられたとおりに従いました。モーセもヨシュアが霊に満たされた人であることを知っていたことでしょう。それで、手を彼の上に置いて按手し、モーセの後継者とし、モーセが生きている間に指導者教育を受けさせました。そして、モーセが死ぬとヨシュアは民の指導者になりました。その時に、神様はヨシュアにこう明言されました。ヨシュア記1章5節から6節です。「5一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう。わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。6強く、雄々しくあれ。あなたは、わたしが先祖たちに与えると誓った土地を、この民に継がせる者である。」そして、こう命じられました。7節~8節前半です。「7ただ、強く、大いに雄々しくあって、わたしの僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する。8この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。」
そして、こう約束されました。8節後半~9節です。「そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。9わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」若い時に幕屋を離れなかったヨシュアはこの神様の約束の御言葉を受けて、律法の書を口から離すことなく、守り通しました。神様もヨシュアを離れず、見捨てることなく、いつも共にいてくださいました。それで、彼は霊に満たされた人の人生を全うしました。
私たちはどうでしょうか。ペトロの手紙一2章9節前半「9aしかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。」私たちも、イエスキリストにあって、「選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。」私たちがどんなに小さな者であっても、神の民として、聖なる国民としてこの世に遣わされていることに疑いの余地はありません。キリストの体である教会はもちろんのこと、家庭、農場、牧場、学校、事業所で、特定の分野・領域で、地域で、北海道で、日本で、神の民としてそこに置かれています。ですから、聖書の御言葉に従うかどうかが、その共同体の運命を握っています。もしも、神の人一人が運命をかけて、自らが置かれた立場できちんと御言葉に従うならば、神様が必ず勝利を与えて、その個人を、家を、共同体を、地域を、国を、民族を、祝福して下さいます。
6.招きと決心
招きと決心の時間を持ちたいと思います。ここに、まだイエス様を自分の罪のための救い主として受け入れていない方がおられるでしょうか。また、私はこのままで死んだら天の父なる神様の所に行けるか分からないと思っている方がいらっしゃるでしょうか。そのような方がおられましたら、イエス様を自分の罪のために十字架で血を流して死んで復活された救い主として受け入れますようにお勧めします。信じ受け入れるならば、すべての罪が赦され、清められ、神様の子になる資格が与えられます。ガラテヤの信徒への手紙3章26節です。「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。」信じ受け入れるならば、どんな時にも、どんな状況でも、全能なる父なる神様の憐れみを受ける、神様に属する者として下さいます。ペトロの手紙一2章10節「10あなたがたは、「かつては神の民ではなかったが、今は神の民であり、憐れみを受けなかったが、今は憐れみを受けている」のです。」ヨシュアのように霊に満たされた人として、新しい人生を生きる道が開かれます。
祈ります。「天の父なる神様。わたしは罪びとです。どこから来て、どうして生まれ、何のために生きて、最後はどこに行くのか知ることもなく、さまよい、ただひたすら生きてきました。私の罪のために、十字架にかかり、罪をきよめる血を流して死なれ、よみがえられたイエス様を、私の救い主としてお迎えします。私はきよめられ、神様の子供になりました。感謝します。今から、いつまでも、主と共におります。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。
皆さんの魂が恵まれ、すべての面で恵まれ、健康であるように祝福します。
合計 47
手順 タイトル 投稿者 投稿日 推薦 閲覧数
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主人に役立つ器
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聞いて行う者
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主の助け
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恐れるべき方
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主に望みをおく人は
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霊に満たされた人
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41
主を畏れる人は
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40
風も波も従う
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39
主を知っているか
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38
御言葉の力
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