メッセージ

あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯。(詩編119篇105節)

見失った羊

投稿者
toshibetsu
投稿日
2025-08-11 22:39
閲覧数
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250810利別教会メッセージ召天者記念礼拝
御言葉:ルカによる福音書15章1節から7節
題:見失った羊
先週は十字架上の三人という題で十字架上でイエス様をののしった一人の犯罪人、「わたしを思い出してください」と悔い改めてイエス様を信じたもう一人の犯罪人、そして一人の魂の救いのために、十字架の苦しみさえも喜びを持って耐え忍んだイエス様の最期を読みました。今日は「見失った羊」という題で恵みをいただきましょう。
1. イエス様に来た徴税人や罪人
1節、2節です。「1徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。2すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。」イエス様がこの世で活動された時代、イスラエルで敬虔な人、模範的とされたのはファリサイ派と呼ばれる人々でした。その多くが律法の学者であり教師でした。また、最も神様から遠い罪人とされた人々が徴税人や、体を売らなければ生きることができなかった娼婦たちでした。当時の考えでは天国一号と地獄一号でした。その天国一号だと自ら自負していたファリサイ派の教師たちは、神様のもとから来られたと思われるイエス様に、自分たちの味方になって欲しかったに違いありません。そうなれば、天国一号として認められるからでしょう。しかし、自分たちの希望とは裏腹に、イエス様は罪人と一緒に過ごされる傾向が強くて、それが彼らの不平不満の種となりました。その日もまた、徴税人や罪人、すなわち娼婦の方々が皆、イエス様の話を聞こうとして近寄って来ました。そして、イエス様はその人たちと食事までしました。それで、「この人は罪人を迎えて、食事まで一緒にしている」と彼らは不平を言いだしました。
2.見つけ出すまで捜しまわる
その不平を踏まえたイエス様の話が、3節、4節です。「3そこで、イエスは次のたとえを話された。4「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。」この喩え話を聞くと少し変だなと思う方もいるでしょう。なぜなら、失われた羊を捜すのは悪いことではありませんが、だからと言って九十九匹の羊を野原にそのまま残してまで見失った羊を捜し回るのは変かもしれないからです。
しかし、このイエス様の話を聞くファリサイ派の人々は、この喩えの設定そのものについては何も引っ掛かりがありませんでした。不思議でも変でもなく、当時としては当然の流れであったのでしょう。当時のイスラエルでは、人と羊の関係は、簡単に言うと同じ部屋で過ごす関係でした。家族のように大切にされて、すべての羊の顔と名前を羊飼いは知っているという関係でした。なので、一匹の羊を見失った羊飼いは九十九匹の羊を野原に残して、失った羊を見つけるまで捜し回ります。羊飼いであったダビデも、羊を見失ったならば探しましたし、クマやライオンに奪われた羊を見つけようものなら、命を掛けて救い出したと聖書に記録されています。サムエル記上17章34、35節です。「34しかし、ダビデは言った。「僕は、父の羊を飼う者です。獅子や熊が出て来て群れの中から羊を奪い取ることがあります。35そのときには、追いかけて打ちかかり、その口から羊を取り戻します。向かって来れば、たてがみをつかみ、打ち殺してしまいます。」奪われた羊のために命を掛けて戦って救い出すくらい、羊と羊飼いの関係は深い命の関係でした。
3. 大きな喜びが天にある
その大切な羊を見失って、探しまわって見つけた羊飼いは、どうしたでしょう。5節、6節です。「5そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、6家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。」この話を聞くとまた、この羊飼いの行動が理解できないと思う人もいるかもしれません。羊が大切で、命の関係であるから見つけたので、喜んで羊を担いで、抱っこしておんぶして家に帰るとことまではいいですが、その後、友達や近所の人々を呼び集めて、「見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください」と言って宴会でも開くということでしょう。結構な投資をして喜ぶということです。イエス様がこの次に語られた放蕩息子の喩えでは、子牛を屠って宴会をしました。ルカによる福音書の15章23、24節です。「23『それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。」羊一匹に、それ以上の投資をしてお祝いをしますよ、ということです。このように大きな喜びが天にあります。7節です。「言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」
4 一匹を最後まで捜し回るイエス様
 この喩えの見失った一匹の羊を見つけ出すまで捜し回った羊飼いとは、イエス様御自身のことです。ヨハネによる福音書10章10節、11節です。「10盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。11わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」私たちは、実際には、イエス様が見失った羊ではありません。自分勝手に出て行った放蕩羊です。私たちは、神様の御言葉よりも自分の思いや感情や、世の流れに従う羊です。また、サタンの誘惑に唆されて出て行ってだめになってしまった羊でした。このように、自分から離れて行った羊なのに、イエス様は見失った羊であると言って、見つけ出すまで探し回ると言うのです。それは、イエス様が私達に一切の責めを負わせないぞ、という、御意志の表れです。ですから十字架の上でこう祈られました。ルカによる福音書23章34節「そのとき、イエスは言われた。「父よ。彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。~」イエス様が私たちのすべての背き、罪、咎、無知、恥、病、痛みをご自分のものとして背負って十字架につけられました。そして、コロサイの信徒への手紙2章「13b神は、わたしたちの一切の罪を赦し、14規則によってわたしたちを訴えて不利に陥れていた証書を破棄し、これを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。」あらゆる責めからの完全な自由を満喫させるためでした。人生の重荷を肩から降ろさせるためでした。詩編32篇「1bいかに幸いなことでしょう 背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。」そして、全能者ご自身が愛と慈しみを現して、味あわさせ、喜びで満たすためでした。「10b 主に信頼する者は慈しみに囲まれる。」
5 招きの対象と目的
ところで、本文で、誰が招かれているのでしょうか。また、招かれた目的は何であったでしょうか。この御言葉の語られた状況を思い浮かべると、今、イエス様の周りに近寄って来て一緒に食事までしている徴税人や罪人は、既に見出されてイエス様と共に祝っています。一方で、イエス様について不平をもらすファリサイ派や律法学者の人々は、まだ見出されていない、見失った羊のようです。イエス様は御自分の許に来る徴税人や、世の中から「罪人」と呼ばれていた人々はもちろんのこと、御自身に反対する、指導的な立場にあったファリサイ派や律法学者たちのためにも、この見失った羊の喩えを語られたのでしょう。そこに、一人たりとも失って永遠の罰と滅びに向かわせたくないという、イエス様の人類への愛が示されています。7節です。「言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」そして、それは、ヨハネによる福音書10章「10b わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。」からです。
今日は召天者記念礼拝として、特に、先に天に召された方とその生涯を記念して礼拝をささげています。この教会から先に召された方々の中には、聖書と関係のない環境で育った方々も少なくありません。また、先祖からキリスト教について聞いてはいても、自分自身は迷える羊であった方々もいらっしゃいます。しかし、人生のある時点で、イエス様に見いだされ、イエス様を救い主として受け入れた方々であり、イエス様を愛し、御言葉を愛し、神様の慈しみに囲まれて地上の生涯を終えられた方々です。慈しみ深い主に、改めて、感謝と賛美をささげます。
 それでは招きと決心の時間を持ちましょう。イエス様は十字架の死のあと、聖書に書かれている通りに三日目によみがえられました。そして、イエス様を自分の救い主として受け入れる人は誰でも神様の子として下さり、命と祝福の関係を回復してくださいます。
聖書は私たちの人生が僅かの間に現れて、やがて消えて行く霧のようであると語っています。霧のような人生の中で良い羊飼いイエス様に見つけられて、新しい命を得、神様の御国を頂くことより幸いな人生はありません。イエスキリストが、私たちの受けるべき責めと恥と呪いを全て、代わりに受けて下さいました。この方を自分の救い主として受け入れるならば、あらゆる罪の赦し、責めからの自由が与えられ、神様の慈しみに囲まれます。詩編103篇「3主はあなたの罪をことごとく赦し 病をすべて癒し 4命を墓から贖い出してくださる。慈しみと憐れみの冠を授け 5長らえる限り良いものに満ち足らせ 鷲のような若さを新たにしてくださる。」
共に祈りましょう。
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