メッセージ

あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯。(詩編119篇105節)

一粒の麦

投稿者
toshibetsu
投稿日
2025-10-26 20:05
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251026利別教会メッセージ
御言葉:ヨハネによる福音書12章20節から26節
題:一粒の麦
先週は羊と山羊という題で恵みをいただきました。私と皆さんがいつもイエス様とその御声に従って歩む羊の人生を全うしますように祝福します。今日は収穫感謝の礼拝であり、また今週は宗教改革記念週間でもあります。一粒の麦という題でイエス様の生涯と宗教改革の道を開拓した改革者フスを学びたいと思います。
1. イエスにお目にかかりたいのです
20節、21節です。「20さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシャ人がいた。21彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。」今日の御言葉の背景になるのは過越祭というお祭りです。この祭りを最後にしてイエス様は捕まえられて、不法な裁判を受けて十字架刑にされ、十字架に付けられて血を流して死にます。この出来事は、旧約の預言書に預言されていましたし、イエス様も何度も弟子たちに話されました。マタイによる福音書20章17節から19節です。「17イエスはエルサレムへ上って行く途中、十二人の弟子だけを呼び寄せて言われた。18「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して、19異邦人に引き渡す。人の子を侮辱し、鞭打ち、十字架につけるためである。そして、人の子は三日目に復活する。」」
 さて、20節を見ると、祭りの時、礼拝のためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシャ人がいました。彼らがギリシャのどこから来たどんな名前の人かについては何も書かれていません。彼らは弟子たちの中でガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとに来て、イエス様に会いたいという願いを申し入れました。フィリポの名前がギリシャの有名な王、アレクサンドロスの父の名前であったからでしょう。弟子のフィリポは名前だけがギリシャ式か、本当に容姿もギリシャ人のようだったかは分かりませんが、彼らがフィリポを尋ねて来たのは何か理由があったに違いありません。
 その申し入れを聞いたフィリポは親しい友でイエス様の一番目の弟子であるアンデレに話をしました。そして、二人はイエス様にギリシャ人が来てイエス様に会いたがっていると伝えました。
2. 一粒の麦は、地に落ちて死ななければ
23節と24節の前半です。「23イエスはこうお答えになった。「人の子が栄光を受ける時が来た。24はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。~」聖書はイエス様が御自分に会いに来たギリシャ人に会いに行って会ったかどうかについては記されていませんが、きっと会ってくださったと思います。しかし、イエス様はギリシャ人がイエス様に会いに来たこと自体にどんな意味があるかを話されました。
それは人の子が栄光を受ける時が来たということです。異邦人であるギリシャ人もイエス様について聞き、関心を持って来たことは、多分ユダヤに住んでいるイスラエルの人たちは皆が、イエス様のことを聞いたのではないかと思います。イエス様はこう語られたことがあります。マタイによる福音書15章24節です「イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。」なので、イエス様はイスラエルの町々を巡って福音を宣べ伝えられたのも、そのために遣わされたからでしょう。
先生、イエス様はすべての人の為に遣わされたのではありませんか。そうです。イエス様のなされた十字架と復活による罪の赦しと永遠の命は信じるものすべてに与えられるものです。しかし、イエス様が活動したのはイスラエルとカナン地域でした。イエス様も自分がイスラエルの家に遣わされたと語られましたし、預言書にもこう書かれています。ミカ書5章1節です。「エフラタのベツレヘムよお前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのためにイスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。」わたしたちはイエス様が日本にも来て福音を伝えてくれったらと思ったりしますが、イエス様は人間として来られ、特にユダヤ人として来られたので、イスラエルの人のために遣わされました。聖書に書かれているとおりです。残念と思う人もいるかもしれませんが、イエス様は「見ないのに信じる人は、幸いである」と仰いました。
そして、先生、イエス様は十字架に掛けられる時になったのに、なぜ、それが栄光を受けることだと言うのですか。苦しみを受けるだけではありませんか。その通りです。私たちの目には十字架は苦しみです。しかし、十字架なしに復活無しです。栄光を受けることは十字架を通して復活の栄光を受けることです。
この世は十字架なしに栄光を受けること、つまり死なないで復活することが賢い生き方だと誘惑します。それで、イエス様は十字架なしに復活の栄光がないという真理を一粒の麦を例えて説明されました。24節の前半をもう一度読みましょう。「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。~」農業を営む方はこの御言葉が真理であると知っています。イエス様は十字架に掛けられて死ぬことが麦の種が地に落ちて死ぬことであると説明します。また、自分を一粒の麦であると説明しました。麦であれ、豆であれ、穀物の種が、自分は地に落ちて死ぬこと、つまり土に埋められるのが嫌で、自分は死にたくない、格好いいこの硬い種の姿を壊したくないと拒否して死ななければ、何千年経っても一粒のままで残るでしょう。何の美しい姿もない豆が、死にたくないのならば、イエス様は、本質が神様であるお方ですから、捕まえて、侮辱を受けて、打たれ、唾を掛けられ、苦しんで死ぬことにならなくても良い方でしょう。しかし、イエス様はどうされたでしょうか。
3. 死ねば、多くの実を結ぶ
もう一度24節を読みましょう。「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」イエス様は地に落ちて死にました。一粒の麦や、穀物の種が地に落ち、持っている栄養、つまり命を全部使って死にます。しかし、死で終わるのではありません。不思議に、芽が出ます。そして、その芽が成長して花が咲き、実ります。しかも、あるものは百倍、穀物によっては何千倍の実を結びます。
先生、麦やとうきびは実を結ぶことを知っていますが、イエス様が死んで結ぶ実は何ですかと聞く人もいるかもしれません。聖書では、イエス様が死んで結ぶ実について預言されています。イザヤ書53章11節、12節です。「11彼は自らの苦しみの実りを見 それを知って満足する。わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために彼らの罪を自ら負った。12それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし彼は戦利品としておびただしい人を受ける。彼が自らをなげうち、死んで罪人のひとりに数えられたからだ。多くの人の過ちを担い背いた者のために執り成しをしたのはこの人であった。」聖書は、イエス様が死んだのは多くの人の罪を自ら負ったからであるとします。それによって多くの人が正しい者とされたのです。
先生、なぜ、全ての人ではなく、多くの人なのですか?イエス様がすべての人の罪を背負って死んだと、先生がいつも言っているのではないでしょうか?その通りです。イエス様はすべての人の過去と現在と未来の罪を全部背負って死んでくださいました。けれども、その事を信じ受け入れるものだけが罪が赦され、正しい人、つまり義人になって神様の子供の資格を得、天国の永遠の命を受けるのです。なので、全部の人ではなく多くの人と聖書では言われています。
私と皆さんは、イエス様が地に落ちて死んだのが私の罪を背負って死んだのだと信じ受け入れますように祝福します。イエス様は御自分を一粒の麦であると説明したうえで、イエス様に従って生きる人、クリスチャンは皆、イエス様の種から結ばれた実であり、また実であるので、また一粒の麦であると示します。
4. この世で自分の命を憎む人
25節から26節です。「25自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。26わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。」」イエス様は今、話かけて来た弟子のフィリポとアンデレに、そして今日礼拝する私たちに、一粒の麦のことがイエス様御自身にのみの御言葉ではなく、弟子たちや私たちのための御言葉であると話されています。
それでは、地に落ちて死なない、つまり、一粒のままの麦はどんな人であるでしょうか?それが、「自分の命を愛する者」です。また自分の命を愛するから、自分の命を捨てず、自分の考えや思いを大切にしてイエス様に従わない人です。その人はどうなるでしょうか。一粒の麦は一粒のままに残りますが、人間は120歳にならない内に死にます。そして、イエス様は「自分の命を愛する者は、それを失う」と言われました。ここの失うことは皆が経験する一度の死ではなく、永遠の罰を受ける、第二の死を意味します。
 それでは、一粒の麦が地に落ちて死ぬ、そして多くの実を結ぶ麦はどんな人でしょう。イエス様の御言葉を見ると「この世で自分の命を憎む人」であり、自分の命を憎んで「イエス様に仕えようとする者」、つまり、この世の自分の命や考えより、永遠の命とイエス様の考えを大切にして、イエス様に従って生きる人です。その人たちはどうなるでしょうか。26節をもう一度読みましょう。「わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。」」地に落ちて死ぬ一粒の麦の人生は確かに天の御国で主イエス様と共に居る人生とになります。また神様はその人を愛しますので、この世でも次の世でも、その魂が恵まれているように、すべての面で恵まれて、信仰、健康、成功の実を結びます。わたしと皆さんが地に落ちて死ぬ麦、この世において、永遠の命をこの世の命より、イエス様の御言葉を自分の考えより大切にする一粒の麦の人生を生きますように祝福します。
5. 宗教改革の一粒の麦、ジョン・フス
宗教改革がルターの95箇条の神学的問題提起によって1517年10月31日に始まりました。しかし、そのルターを異端であると破門した当時の教皇庁の祭司たちはルターを見て、こいつはジョン・フスと似ていると思いました。フスは彼より先に教皇や教会の問題を指摘したウィクリフの影響を受けました。そして、聖書に根拠がない教皇や教会の教理や命令に服従しては、いけない、と教えました。
当時は、教皇の考えが神様の御心であり聖書と等々の権威があると教えられていた時代でした。なので、フスは当時の教皇と教会によって異端とされ、宗教裁判にかけられました。自分の主張を撤回しなければ、火刑にされるのです。その時、フスは聖書に照らして自分の主張に間違いがあれば、彼らに従う用意がありましたが、彼らの意見は聖書的な根拠がありませんでした。フスは「黄金を与えようとも、わたしは真理を守ります」と言いました。そして、死刑を前にして監獄でこう祈りました。「最も聖なる主よ、わたしは弱いけれども、主の後を追えるように導いてください。主が導かれなければ、わたしは主に従うことができません。~主が御一緒でなければ、わたしは主のための残酷な死を耐えることができません。わたしに恐れない心と、正しい信仰と、揺らぐことのない希望と、主の完全な愛をくださって、主のために忍耐と喜びをもって私の命をささげさせてください。」
そして、1415年7月6日「主よ、彼らをお赦しください」と祈り、詩編の讃美を歌いながら火で焼かれて死にました。フスはこの世で自分の命を憎み、真理である聖書の御言葉に従って生きました。まさに、その一粒の麦によって、聖書から離れ、教会の間違った教えの故に、教会に行ったから地獄に行く、という、悲劇的な大きな流れが止まる宗教改革が100年後に起こることになりました。自分の考え、牧師や教会の考えではなく、聖書に現わされている神様の御心が何であるか見極めて生きる私と皆さんでありますように祝福します。
6.招きと決心
それでは、招きと決心の時間を持ちましょう。私たち人生について、聖書は僅かに現れてやがって消えて行く霧であるとします。霧のような短い人生の中で、イエス様に出会って、罪が赦され、永遠の命を得、この世では地に落ちて死、多くの実を結ぶ、神様の御心に従って生きることより幸いな人生はありません。今、イエス様を自分の罪のために死んでまた復活された救い主としてお迎えしますように祝福します。使徒言行録16章31節は「~主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」と約束されています。
共に祈りましょう。祈ります。「天の父なる神様。わたしは罪びとです。どこから来て、どうして生まれ、何のために生きて、最後はどこに行くのか知ることもなく、さまよい、ただひたすら生きてきました。私の罪のために、十字架にかかり、罪をきよめる血を流して死なれ、よみがえられたイエス様を、私の救い主としてお迎えします。私はきよめられ、神様の子供になりました。感謝します。今から、いつまでも、主と共におります。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。今、共に祈られた皆さまを祝福します。「皆さんの魂が恵まれているように、皆さんがすべての面で恵まれ、健康であるように祝福します。」
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